竹田郷(読み)たけだごう

日本歴史地名大系 「竹田郷」の解説

竹田郷
たけだごう

和名抄」にみえる河村かわむら郡竹田郷の郷名を継ぐ中世の郷。竹田川流域の竹田谷から竹田川と三徳みとく川の合流点付近に比定される。正嘉二年(一二五八)一一月の東郷庄下地中分絵図には、東郷とうごう庄の南に「竹田」とみえる。暦応二年(一三三九)一二月二三日、国衙の干渉を止めて、竹田・三朝両郷を松尾まつお(現京都市西京区)が前々のとおり知行することを、同社前神主に対し認めている(「油小路隆蔭御教書」松尾神社文書)


竹田郷
たけだごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。東急本に「太介多」の訓がある。正倉院宝物の黄の墨書銘(正倉院宝物銘文集成)に天平一五年(七四三)一〇月の年紀とともに「遠江国敷智郡竹田郷戸主刑部真須弥調黄六丈」とみえるほか、浜松市の伊場いば梶子かじこ城山しろやまなどの遺跡から出土した木簡墨書土器からも郷名が多数確認できる。年代の明記されているもののうち最も早い時期のものは「(己)亥年(五カ)月十九日淵評竹田里人若倭(老カ)末呂上為×」と書かれた伊場遺跡の木簡で、己亥年は文武三年(六九九)にあたる。ただし同遺跡からは「竹田五十戸人□」との表記をもつ木簡も出土している。「五十戸」表記はおおむね持統三年(六八九)の浄御原令施行を境に「里」表記に変化しているので、「竹田五十戸」は逆にそれ以前のものと推定できる。


竹田郷
たけだごう

「和名抄」刊本・東急本にのみみえるが、訓はない。「大日本史国郡志」「日本地理志料」ともに竹田(現真野町)を遺称地とする。「大日本地名辞書」は「此郷は中世雑田郷と混し、府中の邑内たり。府中は国府川の南北に渉り、後世惣名沢田府中と呼び、竹田の郷名亡びたり。然れども和名抄二郷の区分は、大略東南を竹田、西北を雑田とせる者とす。竹田蓋高田の義、雑田は沢田の義なれば、地形を見て其往昔を想ふに足る。今の真野村大字竹田国分寺、名古屋并に畑野村大字後山、大久保、三宮等は竹田郷の旧域ならん」と記す。


竹田郷
たけだごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本・東急本・名博本ともに訓を欠く。春日かすが山垣やまがき遺跡出土木簡に「竹田里春部若万呂十束」「竹田里六人部」とみえ、郷名が霊亀二年(七一六)以前までさかのぼること、当郷に春部氏・六人部氏の分布していたことがわかる。


竹田郷
たけだごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。遺称地はなく、「大日本地名辞書」では三朝みささ郷の南、美作国境に至る山谷に比定する。現三朝町の天神川(竹田川)および加茂かも川の流域で、同町南西半の旧竹田村・東竹田村・西竹田村・みなもと村・高勢たかせ村・賀茂かも村地区となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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