近世,大坂または堺の船で,外国から長崎に輸入された糸荷(生糸)などを上方に運ぶことを幕府から許された特権的な船。このうち堺の糸荷廻船には堺船という別称があり,船の所有者は堺商人に限られ,船には〈御用〉の船印か鎗を立て,二紺三白の幕を張って特権船であることを示し,その船頭には帯刀が許された。なお,輸入生糸などの急送を必要とする場合,堺宿老の許可を得て,他船を調達して運送する例外が認められたが,この船を仮船といった。幕府は1604年(慶長9)の初めころは,堺,京都,長崎の3ヵ所の有力商人に,31-33年(寛永8-10)に江戸,大坂の商人を糸割符(いとわつぷ)の仲間に加えて統制を強化した。このため,ポルトガル,中国(清)からの生糸の輸入が減少し,代わって国産の生糸(和糸)が増大してきて,糸荷廻船もしだいに衰退していった。
執筆者:小林 茂
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江戸時代に生糸をはじめ長崎輸入品を、独占的に堺(さかい)や大坂に積み登せた廻船。堺糸荷廻船、堺・大坂糸荷廻船ともいい、同じく長崎から陸送する場合は糸荷宰領(さいりょう)の仲間が独占した。糸荷廻船は、幕府が慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に堺の35艘(そう)の船株を公認して始まったと伝えられているが、18世紀初めの定数は35艘。その後長崎貿易と堺の衰退により14艘にまで減ったが、1739年(元文4)から大坂商人が堺の船株を借りてこれに参加するようになり、水揚げは大坂中心に移っていった。
陸送か廻船によるかは荷主(五か所本商人)の選択に任されたが、運賃は廻船が割安であった。隻数には増減があり、1775年(安永4)ごろは20艘、幕末開港期には11艘で、いずれも船株上では堺船であった。
[中村 質]
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