絵暦(読み)エゴヨミ

デジタル大辞泉 「絵暦」の意味・読み・例文・類語

え‐ごよみ〔ヱ‐〕【絵暦】

暦日を説明するために干支えと・暦神などの絵を加えた暦。絵入り暦。
文字を用いず絵と記号だけで暦日・歳事などを表した暦。

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精選版 日本国語大辞典 「絵暦」の意味・読み・例文・類語

え‐ごよみヱ‥【絵暦】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 歳徳神(としとくじん)、金神(こんじん)、大歳神(おおとしのかみ)、大将軍以下の陰陽道でいう神の像を描き、干支(えと)星辰吉凶などを絵で示した暦。絵入り暦。
  3. 近世陰暦の大と小の月の順を知らせるために作られた略暦一種。明和二年(一七六五)、はじめて錦絵のものが作られ、流行した。大小。
    1. [初出の実例]「絵暦になどて火桶は書ざりし〈道彦〉」(出典:俳諧・発句題叢(1820‐23)冬)
  4. 文字を解さない者のために、判じ絵で日常生活や農耕などに必要な暦日を示した略暦。旧南部藩の地域で行なわれた。めくらごよみ。《 季語・新年 》

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改訂新版 世界大百科事典 「絵暦」の意味・わかりやすい解説

絵暦 (えごよみ)

絵や記号で暦象を記した暦。大小暦南部盲暦(めくらごよみ)が代表であり,江戸時代の半ば以降に多く作られるようになった。大小暦は月の大小を種々の絵で奇抜に表現した暦で,貞享・元禄(1684-1704)のころから作られ,1765年(明和2)以降急激に流行した。文人や浮世絵師などが意匠をこらした大小暦を木版刷りにして年始の回礼に贈答する風も行われ,実用からしだいに趣味娯楽のための暦になった。南部盲暦は盲暦,座頭暦ともよばれ,文字を知らぬ人にも理解できるように作られた絵暦で,田山暦盛岡暦の2種類がある。田山暦は旧南部藩二戸郡田山村で発行された絵暦で,正徳年間(1711-16)に版元の八幡家の祖である善八が創始したと伝承され,善八暦ともよばれて幕末まで作られていた。八幡家は田山一帯をカスミ場とする出羽三山系の天台修験の家であり,盲暦は盲経などとともに天台宗の民衆教化のために製作され農民に配られたと考えられている。田山暦は橘南谿の《東遊記》で紹介され世に知られたが,初期のものは手書きの部分が多く少部数が作られたにすぎない。1783年(天明3)の田山暦が現存最古で,有名なわりに現存するものは少ない。一方,盛岡暦は文化年中(1804-18)またはそれを若干さかのぼる時期に田山暦の影響を受けて作られた一枚刷りの暦で,最初から商業目的で大量に作られた。盗人が荷をかつぐ絵で入梅(荷奪い)を表現するなど判じ絵式になっている。現在盲暦といえばこの盛岡暦のことを指し,現在も作られている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「絵暦」の意味・わかりやすい解説

絵暦
えごよみ

文字を用いず絵で解説してある暦。文字を解さない人たちのためにつくられた一枚摺(ず)りのもので、江戸時代には各地にこの種の絵暦があった。判じ絵で農耕・養蚕などに必要な暦日を示した本格的な絵入り暦は、旧南部藩領の岩手県地方にみられ、「南部めくら暦」という。座頭(ざとう)(盲人)暦ともよばれる。

 たとえば賽(さい)の目で、それぞれの月を示し、それに十二支の動物を描いているのは、その月の朔日(ついたち)はなんの日ということをさしている。大の月は大刀、小の月は小刀で表しているほか、盗賊が荷を担いでいる図で「入梅(にゅうばい)」(荷奪い)を示していたり、鉢、重箱、矢を並べて「八十八夜」、罌粟(けし)に濁音符を加えて「夏至(げし)」と読ませているなど、判じ絵的な特色がある。この絵暦は、江戸時代天明(てんめい)(1781~1789)以前に始まったとされ、寛政(かんせい)(1789~1801)版の『東遊記(とうゆうき)』(橘南谿(たちばななんけい))に紹介されたのが最初の文献という。現在のものの原型は、文化(ぶんか)(1804~1818)初期にできた盛岡系で盛岡城下を中心に藩内に普及。明治期版行が中絶されたが、復刊されて以後も存続、県北、三陸地帯では実用暦に用いられ、民俗資料として貴重視される。

[斎藤良輔]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「絵暦」の意味・わかりやすい解説

絵暦
えごよみ

(1) 文字の読めない直接生産者に季節を教えるためにつくられた絵の。たとえば,ケシの絵に濁点を打って夏至(げし)を表した。成立の時期は明らかでないが,岩手県旧南部領で保存されている田山暦と盛岡絵暦(南部暦)は天明年間(1781~89)のものという。
(2) 江戸時代に流行した絵入りの暦。毎年春に発行する暦のうち,月の大小を示すため判じ物風の趣向を凝らした版画。明和2(1765)年新春,狂歌師たちが大小絵暦の摺物交換会を開催。文人や好事家たちは絵暦の意匠をみずから描き,また絵師に描かせ,優れた彫師,摺師に技巧のかぎりを尽くさせて作品を競い合った。そのため絵暦における版画技術が急速に進歩し,木版画多色摺の錦絵の誕生に大きな影響を及ぼした。

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百科事典マイペディア 「絵暦」の意味・わかりやすい解説

絵暦【えごよみ】

絵や記号で記された暦。大小暦は旧暦の月の大小を絵で表現したもので,しだいに趣味化した。座頭暦とか南部暦と呼ばれる暦は,かつては〈盲暦〉ともいわれ,文字を知らない人間にもわかるように,江戸時代から奥州南部地方でつくられた。判じ絵で示してあり,たとえば植物のケシの絵に濁点をつけて夏至(げし)などと読ませ,月日も図示する。盛岡暦,田山暦の2系統がある。

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