老人に関する医療。人口の高齢化が急速に進むなかで老人医療が関心を集めている。老人は若年者に比べて病気にかかりやすいだけでなく,病気が治りにくく慢性化する傾向があるので医療費が多くかかり,また看護や介護の必要性も高くなり,経済面でも福祉面でもさまざまな問題があるからである。とくに,老齢人口が急速に増えつつある現在,老人医療費は無視できない問題となっている。ちなみに日本の総人口中,65歳以上人口の割合は14.6%(1995)であるが,それらの人々が,1年間に使った医療費は国民全体の使った医療費の1/3近い。2045年には65歳以上人口は28%をこえると予測されており,医療費だけからも老人医療の将来に対する危機感は強い。
しかし,老人の受療が高くなったのは1961年に国民皆保険が実現して以降であり,それまでは老人の受療率は全人口の平均より低かった。国民皆保険を境にして老人の受療はじわじわと増え続けて81年には全人口の平均受療率の2倍から3倍の水準に達した。国民皆保険に加えて,1963年に老人健康診査制度が実施されたことも老人の受療を促進した。老人健康診査制度は老人の疾病を早期に発見し治療することを目的として65歳以上の者を対象に市町村長が年1回実施するというものである。国民皆保険,老人健康診査といった制度面の改善は老人の受療機会を増やす点で大きく貢献したが,受療にあたっては医療費の3割ないしは5割を自己負担しなければならないという経済的制約があったため,老人の受療の必要と現実の受療との間にはなお大きなギャップが存在していた。
こうした老人の受療の壁を取り払って真の意味での早期受診,早期治療をめざして老人医療費の無料化を実施する動きが地方の町村で活発になり全国に波及した結果,73年1月1日から老人医療費支給制度(いわゆる老人医療無料化制度)が老人福祉法の一環として実施された。老人医療費支給制度は,70歳以上の老人について医療保険の一部負担分を国と地方自治体が負担して老人医療費を無料にしようというものであった。老人医療無料化によって,老人医療体制はほぼ完成したかにみえたが,それによって老人患者は爆発的に増加し,病院の入院患者の大半を老人で占めるといった現象がほうぼうでみられるようになった。その背景には核家族化によって家庭で老人の看護を期待できなくなったこと,病院では看護と高度な医療を同時に受けることができるためそこに患者が集中したこと,また治療が無料であることを奇貨として安易に受療しようという傾向もあることなどがある。老人医療無料化は医療の現場と患者の双方に混乱を生みだしただけでなく,とりわけ老人を多くかかえる医療保険制度の財政危機の原因となった。
こうしたなかで,必要なのは高度で濃密な医療より老人に適した医療や看護であり,また老人の自立を高めるための予防やリハビリテーションなどの保健活動であるという認識が高まった。その一方で経済が低成長に変わったことに対応して老人医療においても自助意識に訴える必要が叫ばれ,〈自助と連帯〉〈保健サービス〉の二つを柱とする老人保健法(1982公布)が生まれた。老人保健法の実施(1983年2月)により,老人医療費支給制度はその実施から10年で廃止された。老人保健法はその事業として医療のほかに健康教育,健康診査,機能訓練などの保健事業を掲げ,その対象は医療については70歳以上の老人,保健事業については40歳以上の者としている。老人保健制度の特徴は,有料化の原則(1997年現在,入院1日に1000円,外来受診1回500円,薬剤最高1日150円)が導入されたことと,財政面では医療保険制度間の財政調整(老人医療費の財源として各医療保険制度がその老人比率に応じて拠出する)が行われることである。
しかし,老人保健制度の創設によって有料化されてもなお老人医療費は増加を示していること(1983年から94年までの間の年平均増加率は国民医療費5.3%に対して老人医療費8.5%)や,老人医療において治療と介護が混在しているために本来の意味での老人医療が非効率なものとなっていること,などが強く批判されている。こうした批判に応えて,新たに介護保険制度を創設する法案が国会に提出され,また老人が十分な負担能力を持つという実態を踏まえて,老人保健制度に代わって老人医療保険制度を創設する提案も行われている(〈21世紀の医療保険制度(厚生省案)〉,1997)。
執筆者:藤井 良治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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