改訂新版 世界大百科事典 「老子化胡説」の意味・わかりやすい解説
老子化胡説 (ろうしかこせつ)
Lǎo zǐ huà hú shuō
中国において,仏教は老子が説いた教えであるという虚構の説。すなわち,西方の関所をこえて姿をかくしたと伝えられる老子は,実は胡地におもむいて性質のひねくれた胡人を教化するために仏教をはじめたのだといい,したがって仏陀は老子の変化身にほかならないと説かれる。166年の後漢の襄楷(じようかい)の上奏の一節に,〈老子は夷狄(いてき)に入りて浮屠(ふと)(仏陀)となる〉とあって,その萌芽がうかがわれるが,六朝時代以後,仏教にたいする道教の優位を主張するこの説は,排仏論の有力な武器となり,老子化胡を主題とする説話がさまざまに語られ,また《老子化胡経》とよばれる書物が制作された。西晋の道士の王浮が道仏二教の邪正をめぐる僧侶との論争に敗れた腹いせに制作したのが最初の《化胡経》であるといわれ,以後,増広を加えつつ何種類かのものがあらわれた。
《化胡経》は,唐の中宗の時代にいったん禁断されたことがあったが,元の世祖の1281年(至元18)に至ってその他の道教経典とともにきびしい禁断をこうむり,これ以後ほとんど跡を絶った。そのとき禁断されたのは,全真教第7代教祖の李志常が制作した《明威化胡成仏経》であって,それには〈八十一化図〉とよばれる化胡の81の場面をえがいた絵図,いわゆる〈変相〉が添えられていたようである。今日では,道教と仏教の論争を伝える記事の引用として,あるいは敦煌に遺存した写本の残巻として,《化胡経》の断片をうかがいうるにすぎない。
道教の優位を主張するこのような老子化胡説に対抗して,仏教側も,仏陀が中国人を教化するために派遣した3人の菩薩が孔子と顔回と老子にほかならないとか,応声大士(菩薩)が伏羲となり,吉祥菩薩が女媧となったとかの説を虚構し,六朝末には《清浄法行経(しようじようほうぎようきよう)》《空寂所問経(くうじやくしよもんきよう)》《須弥四域経(しゆみしいききよう)》などの偽経が制作された。
執筆者:吉川 忠夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報