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胡藍の獄 こらんのごくHu-lan yu; Hu-lan yü

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

胡藍の獄
こらんのごく
Hu-lan yu; Hu-lan yü

中国,明初の「胡惟庸 (こいよう) の獄」と「藍玉の獄」とを合せた呼称。明の洪武帝は挙兵以来の協力者である功臣宿将たちを些細な理由や無実の罪で多数殺したが,その最大の疑獄事件が「胡藍の獄」である。胡惟庸は洪武帝の信任も厚く,左丞相まで進み一切の政務を専断するにいたったが,洪武 13 (1380) 年謀反をはかったという名目で逮捕され,処刑された。連座して処刑されたものは李善長宋濂 (れん) らの功臣をはじめ三万余人といわれる。藍玉も謀反を企てたという罪で同 26年逮捕,処刑されたが,その事実は疑わしい。このときも連座処刑されたものは2万人に達したといわれる。この事件で洪武帝の挙兵以来の功臣宿将たちはほとんど殺されたが,それは皇帝の独裁権力を確立するためにとられた粛清手段とも考えられる。

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世界大百科事典 第2版の解説

こらんのごく【胡藍の獄】

中国,明朝洪武時代(1368‐98)の胡惟庸(こいよう)と藍玉にまつわる二つの疑獄事件をあわせた呼称。1380年(洪武13)中書省左丞相胡惟庸は謀反のかどで処刑され,御史大夫陳寧ら多くのものが連座した。累は劉基らとともに四先生と呼ばれた宋濂にも及んだ。胡惟庸が日本や北元に通謀していたことが明らかになると,90年再び関係者が追及され,その姻戚李善長をはじめ陸仲亨,費聚,黄彬らの建国の功臣が処刑され,すでに死亡していた顧時,楊璟,華雲竜らはその爵を奪われた。

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