精選版 日本国語大辞典
「能登生国玉比古神社」の意味・読み・例文・類語
のとのいくくにたまひこ‐じんじゃ【能登生国玉比古神社】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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能登生国玉比古神社
のといくくにたまひこじんじや
[現在地名]七尾市所口町
七尾西部の大産土神。通称の気多本宮は一宮気多神社の本宮の意。祭神は大己貴神を主神とし、素盞嗚神・奇稲田姫神を配祀する。旧県社。「延喜式」神名帳所載の同名社に比定する説もある。もと宮山(小丸山)にあったが、天正一七年(一五八九)前田利家の築城に伴い現在地の明神野に移転した(「神社来歴」加賀藩史料)。
建武三年(一三三六)八月二七日能登守護吉見頼顕は所口にあった気多本宮の免田に対する押妨を停止している(「吉見頼顕書下」社蔵文書)。貞和五年(一三四九)四月八日には同宮の所口供僧・神官らが国命に違背したが、当社が「永代不易官省符之地」であることを理由に容認されている(「能登国宣」同文書)。
能登生国玉比古神社
のといくくにたまひこじんじや
眉丈山麓の沢の高台、通称仏性山に南東に面して鎮座する。祭神は多気倉長命。旧村社。「延喜式」神名帳に載る能登郡の同名社に比定する説もあるが、七尾市所口の同名社や、当町能登部上の能登部神社に比定する説もある。承応二年(一六五三)の縁起(金丸村史)によれば、多気倉長命は能登の国魂神で、大己貴命と少彦名命の二神に協力して国土を平定し、その女伊豆目比売と少彦名命との間に生れた菅根彦命は金鋺翁とよばれて金丸村村主の遠祖となったと伝える。金丸の地名は金鋺翁に由来するという。天平年間(七二九―七四九)には仏性山天平寺と称する別当寺が三六坊あり、中世金丸保の惣鎮守であったが、享禄―天文(一五二八―五五)の頃に石動山天平寺の衆徒と本末を争って戦い、兵火によって焼亡したと伝える(「三州志」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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