気多神社縁起(気多神社文書)によれば、祭神の大己貴命が孝元天皇のとき三〇〇余神を率いて来降し、越中の北島の化鳥(魔王)と
「万葉集」巻一七に、天平二〇年(七四八)越中守大伴家持が「赴参気太神宮」のとき詠じた「之乎路から直越え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも」の歌がある。「続日本紀」神護景雲二年(七六八)一〇月二四日条に「能登国気多神」とみえ、封戸二〇戸・田二町が給されている。同四年八月二日称徳天皇不予により当社に中臣葛野飯麻呂が派遣され、奉幣が行われている(同書)。延暦三年(七八四)従三位気太神は正三位に昇叙され(同書同年三月一六日条)、嘉祥三年(八五〇)従二位になり(「文徳実録」同年六月二日条)、仁寿三年(八五三)には正二位勲一等で(同書同年八月一五日条)、貞観元年(八五九)に従一位に叙された(「三代実録」同年正月二七日条)。なお正長元年(一四二八)六月の気多社神官供僧訴状案(気多神社文書)に「正一位太政大臣勲一等気多不思儀大智満菩薩」とみえ、公家・武家からの崇敬を深く受けていたとも考えられている。大同元年(八〇六)の封戸は三〇戸(新抄格勅符抄)、仁寿三年八月一五日に神封一〇戸・位田二町が加給されている(文徳実録)。
天暦三年(九四九)五月二三日の神祇官勘文(尊経閣文庫蔵)では、当社の祭祀の始まりを神護景雲四年の奉幣と記すが、この奉幣は、前年の新羅国使の対馬着岸にかかわって、渡来の疫神追却を祈願したものともみられ、当社が東北経営・対外交渉の要地に鎮座し、疫神祭祀上も重視されていたことがうかがえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
石川県羽咋市に鎮座。気多大社とも呼ばれる。旧国幣大社。祭神の大己貴(おおなむち)命は出雲より来臨して能登地方を平定開発し,やがて鎮祭されたと伝えられる。早くから北陸の大社として聞こえ,奈良時代より名をあらわしている。748年(天平20)に越中守の大伴家持が社参したときの詠歌が《万葉集》にみえる。768年(神護景雲2)に神封20戸,田2町を寄せられたのをはじめとして奉幣にあずかるなど,朝廷の尊崇をうけた。855年(斉衡2)には神宮寺に常住僧がおかれ,神階は859年(貞観1)には従一位にのぼった。このような殊遇は東北経営や対外関係にその神威が仰がれたためであろう。1978年に南方800mの地に発見された祭祀遺跡との関連も考えられる。延喜の制では名神大社に列して祈年の国幣にあずかり,その後は能登国の一宮として重んじられた。分祀や御子神も平安初期には越中,加賀,越前,飛驒に存在した。中世以降は武門の信仰を受け,能登の守護畠山氏,後には加賀藩祖前田利家をはじめ歴代藩主が深く尊信し,社領350石を寄進したほか社殿の造営等をした。近世の社家は22家,社僧は長福院,正覚院,薬師院,地蔵院があった。社殿は入らずの森と呼ばれる天然記念物指定の広大な社叢を背景に南面して海に向かっている。本殿,拝殿,摂社の白山神社,同若宮神社および神門はいずれも重要文化財である。鎮座地の寺家町も能登一宮という歴史的環境を保ち,釈迢空(折口信夫)の歌〈気多の宮蔀(しとみ)にひゞく海の音耳をすませば聴くべかりけり〉の境地を伝えている。例祭は4月3日。このほか3月18日より23日まで2市5町を渡御する平国(くにむけ)祭,12月16日の早暁に生きたウを神前に放って本殿へ進める鵜祭等の特殊神事がある。社蔵文書約3000点のうち後奈良天皇女房奉書は重要文化財に指定されている。
執筆者:小倉 学
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石川県羽咋(はくい)市寺家町(じけまち)に鎮座。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。創建年代未詳。能登(のと)国一宮(いちのみや)で、古くは気多大神宮とも称した。大己貴命は少彦名神(すくなひこなのかみ)の協力を得てこの地方の賊徒を平定したが、その恩に報いるため土地の人々が奉斎したのが本社の創建と伝える。一説に崇神(すじん)天皇の代ともいう。748年(天平20)の越中(えっちゅう)国守大伴家持(おおとものやかもち)の歌に「気太神宮」の名がみえる。『新抄格勅符』に765年(天平神護1)神封寄進のことがみえ、歴朝の崇敬がきわめて厚く、延喜(えんぎ)の制では名神(みょうじん)大社に列した。1871年(明治4)国幣中社、1915年(大正4)国幣大社に昇格。摂社に奥社、若宮神社、白山神社があり、末社なども多い。例祭日は4月3日で、追澄(おいずみ)祭ともいい、射的行事が行われる。そのほか1月11日の門出(かどで)式、3月18日より23日にかけての平国(くにむけ)祭、4月4日の鎮花祭、5月1日の御贄(おにえ)祭、12月16日の鵜祭(うまつり)などの特殊神事は有名。拝殿、神門のほか、1569年(永禄12)再建の摂社若宮神社本殿は重要文化財。社宝に「後奈良(ごなら)天皇女房奉書」(重要文化財)などがある。
[平泉隆房]
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…記紀の豊玉姫神話には,海辺にウの羽でふいた産屋をたてることがみられる。また石川県羽咋(はくい)市の気多(けた)神社で12月16日に行われる鵜祭は,七尾湾で捕らえたウミウを祭祀の聖なる料として祭神である大己貴(おおなむち)大神にささげることで知られている。《古事記》の国譲り神話によると,櫛八玉神がウに姿をかえて海にもぐり,海底の土で御贄(みにえ)をもる器をつくり,大己貴大神に天真魚咋(あまのまなぐい)を献じたとある。…
※「気多神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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