自衛隊裁判(読み)じえいたいさいばん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

自衛隊裁判
じえいたいさいばん

自衛隊が戦力の不保持を定める憲法に違反した存在であるという意見は、国会の場ではもちろん、広く社会において、その前身である警察予備隊の創設時より主張されてきており、これは憲法解釈上、圧倒的多数説を占めている。かかる立場からは、非武装の憲法と自衛隊との共存という鋭い緊張関係を強く意識せざるをえない。この矛盾を憲法規範の側から克服することを課題にして、自衛隊の違憲性を争う訴訟を一括して自衛隊裁判とよぶ。近年、公害裁判の一つとして、自衛隊による生存侵害を除去しようとする反自衛隊裁判も多発化している。
 自衛隊裁判には、古くは、警察予備隊違憲訴訟(最高裁判所大法廷判決昭和27.10.8)があるが、日本の裁判制度が抽象的違憲審査制を採用していないことを理由に、却下の判決が下されている。その後の代表的な裁判例としては、以下のものがある。[糠塚康江]

恵庭事件

1962年(昭和37)北海道千歳(ちとせ)郡恵庭(えにわ)町にある自衛隊演習場付近で酪農業を営む兄弟が、演習の際の爆音等による乳牛の被害にたまりかね、演習を阻止する目的で、着弾地等との連絡用の電話線を数か所切断したところ、この行為が自衛隊法第121条にいう「防衛の用に供する物を損壊し」に該当するとして起訴された。被告人側は、第121条および自衛隊法全般ないし自衛隊そのものが憲法に違反するがゆえに無効であり、被告人は無罪であると主張したのに対し検察側は、憲法は自衛権を否定しておらず、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力である自衛隊は憲法が禁ずる戦力にあたらない、とした。この事件で自衛隊に対し初の憲法判断が下されるのではないかと期待されたが、判決(札幌地方裁判所判決昭和42.3.29)は、被告人が切断した電話線は「防衛の用に供する物」にあたらず、被告人は無罪であり、すでに結論が出ている以上憲法判断に立ち入るべきではないとして、憲法判断を回避した。検察側は控訴せず、被告人の無罪が確定した。
 この判決は、自衛隊に対する憲法判断を避け、適用罰条を厳格に解釈することによって事件の解決を図ったものである。かような厳格解釈には無理があるのではないか、あるいは憲法判断回避の原則を絶対化しすぎていないか、などの批判が向けられている。また、判決は暗黙のうちに自衛隊の合憲性を肯定しているという見方もあるが、判決は、自衛隊法全体についても第121条についても、憲法判断をまったく加えていないとみるべきであろう。ただ判決が自衛隊法を積極的に違憲としなかったことは、少なくとも自衛隊法の既成事実を承認する政治的機能を果たしたといえる。[糠塚康江]

長沼事件

防衛庁(現防衛省)は北海道長沼(ながぬま)町郊外に航空自衛隊ミサイル基地を設置すべく、当地の国有林に付された保安林の指定の解除を申請し、農林大臣は1969年(昭和44)7月7日付けで森林法第26条2項にいう「公益上の理由」により保安林の指定を解除した。原告地元住民は、違憲の自衛隊の基地建設は「公益上の理由」に該当しないと主張し、農林大臣を相手取り、解除の取消しを求める訴えを提起した。
 第一審判決(札幌地方裁判所判決昭和48.9.7、福島重雄裁判長)は、本件への統治行為論の適用を退けて憲法判断の必要性を説き、自衛隊について初めて違憲の判断を示した。判決は、憲法前文の平和主義を分析し、これに基づき第9条の解釈を行っている。すなわち、第9条1項で放棄されたのは不法な侵略戦争であるが、2項で目的のいかんを問わず戦力の保持が禁止された結果、9条全体では全面的な戦争放棄、戦力不保持となるとしている。戦力にあたるかどうかは侵略か自衛かの目的によって決まるのではなく、客観的性質によって決まるとし、自衛力は戦力でないとする被告側の主張を退けた。本判決は、いわゆる平和的生存権を原告の訴えの利益の根拠の一つとして用いたことでも注目される。
 控訴審判決(札幌高等裁判所判決昭和51.8.5)は、保安林指定解除ののち代替施設が整備された結果、付近住民に洪水の危険はなくなり、訴えの利益が消滅したと判断し、前記の自衛隊違憲判決を取り消した。しかし傍論で次のような憲法上の見解が表明されている。まず裁判規範としての平和的生存権が否認されている。次に、統治事項に属する法令は一義的に明瞭(めいりょう)な場合だけ裁判所の判断に服する、という留保を付した統治行為論が展開され、憲法上自衛のための軍隊その他の戦力の保持が禁じられているかどうかは不明であり、かつ自衛隊が一見きわめて明白に侵略的であるとはいえないとされた。判決は第9条解釈そのものを統治行為とするもので、第9条の解釈を放棄したと批判されてもいたしかたがないであろう。上告審判決(最高裁判所第一小法廷判決昭和57.9.9)は、二審却下判決の結論を支持し、もっぱら森林法の解釈によって本件に決着をつけ、自衛隊についていっさいの憲法判断を避けた。[糠塚康江]

百里基地訴訟

茨城県の百里航空自衛隊基地建設のための土地買収に際し、Xは1958年(昭和33)に基地反対派のYとの間に土地売買契約を結んで内金を受け取ったが、仮登記の日に残金の支払いがなかったため、Yとの契約を解除して、新たに防衛庁との間に売買契約を結んだ。そこで当該土地所有権の帰属が争われ、Yは、Xの行った違憲の自衛隊のための契約解除および新たな売買契約締結は民法第90条の公序良俗に反して無効だと主張した。第一審判決(水戸地方裁判所判決昭和52.2.17)は、自衛のための戦力の保持が憲法前文、第9条に違反しないという見解を示し、自衛のために必要とされる実力の限度がどの程度かの判断は統治行為に属し、自衛隊の装備等がその限度を越えているかどうかの判断は、一見きわめて明白に違憲無効と認められない限り、裁判所のなすところではないとして自衛隊の実質的合憲論を展開した。控訴審判決(東京高等裁判所判決昭和56.7.7)は、自衛隊の第9条違反の問題について国民の間に客観的、一義的意見が醸成されえない以上、自衛隊が公序良俗違反とはいえないとして、民法の解釈論レベルで事件に決着をつけ、自衛隊の合憲性についての判断を回避し、控訴を棄却した。
 そのほか、現職の自衛官が「治安訓練拒否」を訴えた文書を貼付(ちょうふ)掲示し、怠業遂行のせん動(自衛隊法64条・119条1項3号・2項後段)を理由に起訴された反戦自衛官事件では、新潟地方裁判所判決(昭和50.2.22)で防衛庁の証拠提出拒否を理由とする無罪、東京高等裁判所判決(昭和52.1.31)では審理不尽で破棄差戻し、新潟地方裁判所判決(昭和56.3.27)で構成要件非該当のゆえに無罪・確定となった。また岡山県日本原演習場での実弾射撃訓練禁止と同演習場への立入禁止措置の差止めを求める訴訟(岡山地方裁判所判決昭和58.5.25)では行政処分性が否定され、却下となったが、いずれの裁判でも自衛隊に関する憲法判断は下されていない。非戦・非武装の憲法下における自衛隊の存在は憲法問題であると同時に、国論を二分する政治的問題であるだけに、裁判所が憲法判断を回避しようとするのは、あながち不当ともいえないという意見もあるが、裁判上、自衛隊の合違憲性の判断は未決着の状態にあることは確認されておかなければならない。[糠塚康江]
『深瀬忠一著『恵庭裁判における平和憲法の弁証』(1967・日本評論社) ▽深瀬忠一著『長沼裁判における憲法の軍縮平和主義』(1975・日本評論社) ▽『法律時報臨時増刊 自衛隊裁判』(1973・日本評論社) ▽『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ7 戦争と自衛隊』(1978・日本評論社)』

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