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致道館 ちどうかん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

致道館
ちどうかん

庄内藩の藩校。文化1 (1804) 年藩主酒井忠徳によって設立され,翌年白井東月を初代教授に迎えて開校。段階別の教場を備え,生徒も 10~14歳の初学生,句読生,15歳以上の終日詰生,外舎生,試舎生,舎生と学力に応じて進級する制度をとり,蘐園 (けんえん) 学派の構想を具現したものといわれている。なお同名の藩校が土佐藩,大垣藩などにもあった。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

致道館
ちどうかん

美濃(みの)(岐阜県)大垣藩の藩学。のち敬教堂(けいきょうどう)と改称。藩主戸田氏康(うじやす)が1837年(天保8)設立。万延(まんえん)・文久(ぶんきゅう)年間(1860~64)に盛況、聖廟(せいびょう)・講堂・学寮を増築した。漢学・算学・筆道および医学を講ずる文学校と、兵学を教える武学校とからなり、藩士の子弟で8~15歳の者が入校、生徒はかならず文武両道を兼修すべきものとされた。武学校は、文学校で4年以上四書五経の句読を修了した者が入学を許された。維新後、農民の子弟にも入学が勧められ、学校の規模も拡張され、皇漢学の南校を増設、旧敬教堂では洋学を教え北校と称した。維新後の生徒数は寄宿生・通学生合計約500人。のち公立小学興文第一校となる。また斎藤正謙著『救荒事宜(きゅうこうじぎ)』を出版している。なお、ほかに致道館を称する藩学が、庄内(しょうない)(鶴岡(つるおか))藩、磐城湯長谷(いわきゆながや)藩、土佐藩、豊後(ぶんご)日出(ひじ)藩にある。日出藩学は、藩主が1804年(文化1)帆足万里(ほあしばんり)の塾を収公、彼を学頭に迎えて設立したものである。[木槻哲夫]
『文部省編・刊『日本教育史資料一 巻三 東山道』(1889)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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