茅野遺跡(読み)かやのいせき

日本歴史地名大系 「茅野遺跡」の解説

茅野遺跡
かやのいせき

[現在地名]榛東村長岡

榛名はるな山の外輪山である相馬そうま山の南東麓に位置し、標高三一二〜三二七メートルを有する西から東へ下がる斜面上にある。平成元年(一九八七)から同二年にかけて圃場整備事業に伴う発掘調査が行われた。調査はそれほど広範囲に及ぶものではなかったが、それでも住居跡四〇軒以上が確認され、縄文時代後期後半から晩期前半にかけての時期を主体とする大規模な集落跡であることが明らかとなった。

集落内では住居跡に加え、低地部にある湧水を利用した水場や多数の配石遺構などが確認されている。具体的には竪穴住居跡四一軒以上、配石墓七・配石土壙七・配石遺構一一・作業場遺構一などで、集落跡を構成する基本的な要素がすべて確認されており、当該時期の集落構造を考えるうえで重要な遺跡である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「茅野遺跡」の解説

かやのいせき【茅野遺跡】


群馬県北群馬郡榛東村長岡にある集落跡。榛名山(はるなさん)の外輪山の一つである相馬山の東南麓に立地する。1989年(平成1)から翌年にかけて行われた発掘調査で、保存状態の良好な縄文時代の竪穴(たてあな)住居や多数の土製耳飾りなどが出土し、竪穴住居、墓、水場などで構成される縄文時代後期後半から晩期前半にかけての大規模な集落であることが判明した。とくに注目されるのは、577点の土製耳飾りと200点を超す岩版で、土製耳飾りは滑車形のものが多く、表面に赤や黒の彩色が施され、岩版は東北地方を原産地とする白色凝灰岩を板状に成形したもので、未完成のものや原石も多数出土している。当時の他地域との交流を考えるうえで重要とされ、出土品1950点は1992年(平成4)に国の重要文化財に、遺跡は2000年(平成12)に国の史跡に指定された。現在は公園として整備され、出土遺物は榛東村耳飾り館に保管されている。関越自動車道前橋ICから車で約25分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

百科事典マイペディア 「茅野遺跡」の意味・わかりやすい解説

茅野遺跡【かやのいせき】

群馬県北群馬郡榛東村にある縄文時代後期〜晩期の集落遺跡。1989年からの調査で竪穴住居跡,水場遺構,配石墓(はいせきぼ)などが発掘された。ほぼ同時期の桐生市千網谷戸(ちあみがいど)遺跡とならび,600点に近い大量の土製耳飾が出土したことで知られる。

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