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茶壺道中 ちゃつぼどうちゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

茶壺道中
ちゃつぼどうちゅう

江戸時代,幕府宇治から1年間飲用分の茶を求めた行事皇室への献上室町時代から行われていたが,幕府への献上は3代将軍徳川家光の頃から制度化した。立春から 80日目を中心として摘んだ茶を上林家で,江戸から東海道を経由して運ばれた茶壺に詰め,皇室へも献上し,茶壺は中山道を経由して土用の2日前に江戸に着いた。その往復の行列は沿道に負担を与えた。新茶の一般への発売は土用以後。

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デジタル大辞泉の解説

ちゃつぼ‐どうちゅう〔‐ダウチユウ〕【茶×壺道中】

江戸時代、宇治の新茶を将軍家へ運ぶ行事。また、その行列。江戸から東海道を経由して茶壺を下し、帰路中山道を利用した。

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百科事典マイペディアの解説

茶壺道中【ちゃつぼどうちゅう】

江戸時代,毎年茶道頭らが山城から宇治茶を運び将軍に献上した行事,また茶壺の往来をいう。徳川家康の頃にその原型ができ,1632年に制度化された。初期には茶壺を数寄屋坊主がもち,徒士頭(かちがしら)と走衆を引きつれて江戸を出発,宇治で詰めた銘茶を密封して山城愛宕山上に100日間余り格納したあと,江戸城に持ち帰った。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちゃつぼどうちゅう【茶壺道中】

江戸時代,幕府が毎年,茶道頭以下に命じて山城の宇治茶を取り寄せ将軍に献上した行事,また,その茶壺の往来をいう。宇治から茶壺を禁裏などに進献する行事は,すでに室町時代にみられるが,統一政権の成立後は豊臣秀吉や徳川家康の代にその原型ができ,3代将軍徳川家光の1632年(寛永9)より制度化した。初期には茶壺を数寄屋坊主2~3人に持たせ,徒士頭(かちがしら)1人と走衆数人を引きつれて宇治にいたり,御物茶師の上林家らに銘茶を選んで詰めさせ,密封して山城愛宕山上に100余日格納したあと,江戸城に持ちかえって将軍や大奥などの飲用に供し,日光廟・久能山にも供え,一方,禁裏・仙洞へも進献した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

茶壺道中
ちゃつぼどうちゅう

徳川将軍家へ山城(やましろ)国(京都府)の宇治(うじ)茶を献上する往来のこと。3代将軍家光(いえみつ)の1632年(寛永9)より始まる。茶壺は茶道頭(さどうがしら)と坊主(ぼうず)が携行し、道中の警護のため徒士頭(かちがしら)と走衆(はしりしゅう)が同行した。江戸から空の茶壺を持って東海道を宇治まで行き新茶を詰め、京都の愛宕(あたご)山へ約100日間置いたのち、中山道(なかせんどう)を江戸へ運んだ。4代将軍家綱(いえつな)以後は愛宕山へ置くのを改め、甲斐(かい)国(山梨県)谷村(やむら)城の風穴に納め江戸へ運んだ。さらに8代将軍吉宗(よしむね)の1738年(元文3)からは、宇治からそのまま江戸城内の富士見櫓(やぐら)に納めた。谷村城へ納めていたころは中山道を下諏訪(しもすわ)に出て甲州道中を下ったが、宝暦(ほうれき)期(1751~64)以降は諏訪から和田峠を下り入府した。一行は幕府の権威を着て、人馬の使役や休泊・通行などに横暴を振るうことが甚だしかった。[渡辺和敏]

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