デジタル大辞泉
「荷前」の意味・読み・例文・類語
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の‐さき【荷前】
- 〘 名詞 〙 律令制下、毎年諸国から貢物(みつぎもの)として奉る調の絹、綿などのうち、その年の初物。これを朝廷から伊勢大神宮をはじめ諸陵墓に奉り、その残りを天皇が受納した。一二月に荷前の使を派遣。にさき。
- [初出の実例]「御調荷前供奉行事」(出典:皇太神宮儀式帳(804))
- 「一条宮には、御のさき御覧ずるにつけても、夢とのみ思し召さる」(出典:栄花物語(1028‐92頃)ゆふしで)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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荷前 (のさき)
〈のざき〉〈はつお〉〈はつに〉ともいい,律令制下で当年の調庸の初荷から,山陵等の供献用に納入時に前もって抜き取り別置した初物のことをいう。平安時代以後この荷前の繊維製品(荷前の幣)を,年末に,時代によって変遷があるが,天智・光仁・桓武・崇道・仁明・光孝・醍醐各陵や藤原鎌足墓をはじめとする特定の陵墓へ頒け献ずるようになり,これを荷前という。荷前の幣には諸陵墓へ各陵墓の預人を使者として献ずる常幣と,常幣のほかに近陵と近墓へ荷前使(のさきのつかい)を分遣して献ずる別貢幣とがあり,常幣は陰陽寮が占って定めた12月吉日に,参議以上の者が大蔵省に出向いて授け,別貢幣は常幣と同じ日に,天皇が建礼門前へ出御し大臣以下列席して授けた。荷前使は長官,次官,内舎人,内豎,大舎人,駕輿丁(かよちよう)等で構成され,中には役目を闕怠(けたい)する者があったので,《延喜式》には闕怠者の罰則を設けている。しかし時代が降るにつれ,使者は発遣されても陵所まで行かなくなり,1350年(正平5・観応1)には荷前使の発遣もできなくなった。
→陵墓
執筆者:石田 茂輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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荷前
のさき
平安時代、諸国からの貢ぎ物として届けられた初穂を、年末の吉日に天皇および外戚(がいせき)の墓(十陵八墓)に献ずる儀式。その墓につかわされる使者を荷前の使(つかい)という。当日は天皇が建礼門前の幄(あく)に出御され、大臣以下も列席、その幄舎に幣帛(へいはく)が並べられる。天皇の拝ののち、使いがこれを受け、各陵墓に供える。使いは山科(やましな)山陵(天智(てんじ)天皇)のみは中納言(ちゅうなごん)以上、その他は参議以上、四位、五位、内舎人(うどねり)、大舎人などが務めた。平安末には天皇の出御もなくなり、中世になると行われたようすはみえない。
[山中 裕]
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荷前
のさき
まっさきに到来した荷,すなわち初穂 (はつほ) の意。平安時代,毎年 12月に諸国から朝廷に献上された貢物 (みつぎもの) の一部を,初穂として伊勢神宮以下の諸神社,諸陵墓に奉献した行事をいう。この奉幣に派遣された勅使を,荷前使 (のさきのつかい) といった。平安時代末期には衰微し,鎌倉時代には使派遣の儀式だけが行われ,室町時代にはまったく廃絶した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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荷前【のさき】
年末,宮中から諸陵墓に使をつかわし幣物を奉ること。12月13日に使を定め,立春の前の吉日を選んで発遣した。《万葉集》にもみえる古制であるが,平安末ごろから次第に形式化し,南北朝期には廃絶。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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