1706年(宝永3)発行の宝永二ッ宝丁銀・豆板銀はじめ,10年の宝永永字丁銀・豆板銀,宝永三ッ宝丁銀・豆板銀,宝永小判,宝永一分金,11年の宝永四ッ宝丁銀・豆板銀を総称していう。二ッ宝銀,三ッ宝銀,四ッ宝銀には,それぞれ宝の文字が2~4個刻印されている。このようにわずか5ヵ年間に銀貨が4回,金貨が1回改鋳が行われ,幣制は混乱した。これは元禄期の改鋳によって生じた金銀比価の不均衡を調整しようとしたものであったが,銀座年寄が幕府の勘定奉行荻原重秀と結託して,幕府は改鋳益金を収得し,銀座年寄は銀座収入の増大を意図したことによるところが大きい。その結果,江戸幕府は14年(正徳4)5月銀座の粛正を断行した。
執筆者:作道 洋太郎
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江戸幕府が1706~12年(宝永3~正徳2)に鋳造発行した金銀貨の総称。金貨は10年から鋳造され,「乾」の極印(ごくいん)があった小判・一分金は乾字金とよばれ,また減量されて小形になったので小形金ともいう。銀貨には「宝」または「永」の極印があったが,この間大黒常是(じょうぜ)が鋳造に関与しなかったため「常是」の極印はない。06年の宝字銀,10年の永字銀・三ツ宝銀,11年の四ツ宝銀と改鋳がくり返され,そのたびに銀の含有率は低下した。永字銀以下の鋳造は,勘定奉行荻原重秀の独断によるという。元禄改鋳後の銀高基調を転換させるため銀貨の改鋳に重点がおかれたが,幕府は改鋳益金の獲得をめざし,勘定所役人と銀座の結託による私欲の追求もあったという。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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