宝永金銀(読み)ほうえいきんぎん

精選版 日本国語大辞典 「宝永金銀」の意味・読み・例文・類語

ほうえい‐きんぎん【宝永金銀】

〘名〙 江戸幕府宝永年間(一七〇四‐一一)に鋳造した金貨銀貨総称。金貨は乾字金(けんじきん)と通称される小判一分判金。銀貨は丁銀豆板銀で、宝字銀永字銀三宝銀と呼ばれるものがあり、これに正徳年間(一七一一‐一六)鋳造の四宝銀を含める説もある。

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デジタル大辞泉 「宝永金銀」の意味・読み・例文・類語

ほうえい‐きんぎん【宝永金銀】

江戸幕府が宝永年間に鋳造した金貨・銀貨の総称。金貨は小判一分判金、銀貨は宝字銀永字銀三宝銀および正徳年間(1711~1716)鋳造の四宝銀を含む。

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改訂新版 世界大百科事典 「宝永金銀」の意味・わかりやすい解説

宝永金銀 (ほうえいきんぎん)

1706年(宝永3)発行の宝永二ッ宝丁銀・豆板銀はじめ,10年の宝永永字丁銀・豆板銀,宝永三ッ宝丁銀・豆板銀,宝永小判宝永一分金,11年の宝永四ッ宝丁銀・豆板銀を総称していう。二ッ宝銀,三ッ宝銀,四ッ宝銀には,それぞれ宝の文字が2~4個刻印されている。このようにわずか5ヵ年間に銀貨が4回,金貨が1回改鋳が行われ,幣制混乱した。これは元禄期の改鋳によって生じた金銀比価の不均衡を調整しようとしたものであったが,銀座年寄が幕府の勘定奉行荻原重秀結託して,幕府は改鋳益金を収得し,銀座年寄は銀座収入の増大を意図したことによるところが大きい。その結果,江戸幕府は14年(正徳4)5月銀座の粛正を断行した。
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百科事典マイペディア 「宝永金銀」の意味・わかりやすい解説

宝永金銀【ほうえいきんぎん】

1706年―1711年(宝永3年―8年)に鋳造された貨幣。元禄(げんろく)期の改鋳による金銀比価の是正を目的としたもので,二ツ宝丁(ほうちょう)銀・豆板銀・永字丁(えいじちょう)銀・三ツ宝丁銀・小判・一分銀など5年間に銀貨4回,金貨1回改鋳。元禄金銀より品位が劣っていたこともあって,幣制が混乱。改鋳差益金(出目(でめ))を不当に得たとして,1712年銀座商人が粛正され,良貨の正徳(しょうとく)金銀貨が改鋳された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「宝永金銀」の解説

宝永金銀
ほうえいきんぎん

江戸幕府が1706~12年(宝永3~正徳2)に鋳造発行した金銀貨の総称。金貨は10年から鋳造され,「乾」の極印(ごくいん)があった小判・一分金は乾字金とよばれ,また減量されて小形になったので小形金ともいう。銀貨には「宝」または「永」の極印があったが,この間大黒常是(じょうぜ)が鋳造に関与しなかったため「常是」の極印はない。06年の宝字銀,10年の永字銀・三ツ宝銀,11年の四ツ宝銀と改鋳がくり返され,そのたびに銀の含有率は低下した。永字銀以下の鋳造は,勘定奉行荻原重秀の独断によるという。元禄改鋳後の銀高基調を転換させるため銀貨の改鋳に重点がおかれたが,幕府は改鋳益金の獲得をめざし,勘定所役人と銀座の結託による私欲の追求もあったという。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宝永金銀」の意味・わかりやすい解説

宝永金銀
ほうえいきんぎん

江戸幕府が宝永3 (1706) ~正徳4 (14) 年に発行した金,銀貨幣の総称。金貨幣には宝永一分金,宝永小判,銀貨幣には宝字丁銀,豆板銀,永字銀,三宝銀,四宝銀などがあった。慶長,元禄の金銀に比べ品位が劣っていたので流通しにくく,金銀相場を混乱させたので享保8 (23) 年1月までに停止された。

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