日本歴史地名大系 「菅田神社」の解説 菅田神社すがたじんじや 奈良県:大和郡山市八条村菅田神社[現在地名]大和郡山市八条町八条(はちじよう)町集落西端に鎮座。旧郷社。祭神は天目一箇(あめのまひとつ)神。八条天神社または一夜松(いちやまつ)天神とも称した。「延喜式」神名帳添下(そえしも)郡の「菅田神社」に比定される。しかし八条町は近世まで平群(へぐり)郡に属するため問題も残る。いっぽう同帳の添下郡には「菅田比売(すかたひめの)神社二座鍬靫」もあり、現大和郡山市筒井(つつい)町の同名社に比定される。両社は対であったと推定される。当社の鎮座地は興福寺雑役免田平群郡一夜松南荘にあたり、近世まで天満天神を祀り、八条村・長安寺(ちようあんじ)村(現大和郡山市)・菅田村(現奈良県天理市)の氏神であった(「菅田村明細帳」天理市二階堂菅田区有文書)。 菅田神社すげたじんじや 滋賀県:近江八幡市中小森村菅田神社[現在地名]近江八幡市中小森町中小森(なかこもり)町の南の平坦地にある。祭神は大己貴(おおなむち)命・天目一(あめのまひとつ)命の二柱。旧村社。「延喜式」神名帳に載る蒲生(がもう)郡の同名社に比定されるが、現滋賀県蒲生町鋳物師(いもじ)の竹田(たけだ)神社にあてる説もある。「民経記」寛喜三年(一二三一)一〇月九日条に新日吉(いまひえ)社(現京都市東山区)領として「菅田社」がみえ、伊勢奉幣使派遣に伴う雑事賦課を二条中納言の進言により免除されている。文禄元年(一五九二)五月吉日の社記(社蔵)はすでに当社を式内社とし、平田篤胤も「古史伝」で当社を式内社菅田神社に比定する。同書によれば、社名は「新撰姓氏録」(山城国神別)にみえる天津比古禰命・天久斯麻比止命(天目一命)を祖とする菅田首に由来するとし、古代蒲生郡の豪族蒲生稲寸の祖も一般に天津日子根命とされることから、菅田首と蒲生稲寸は同祖関係にあり、蒲生郡の開拓者として祭祀されたとしている。 菅田神社すがたじんじや 兵庫県:小野市菅田村菅田神社[現在地名]小野市菅田町 源太夫垣内東条(とうじよう)川を挟んで東西に延びる標高約一三〇メートルの丘陵地の南側にあり、集落を一望する高台に位置する。旧村社。祭神は天久斯麻比止都命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后・大山咋神。天久斯麻比止都命(天目一箇命)は菅田首の祖神である(「新撰姓氏録」山城国神別)。「延喜式」神名帳に載る賀茂(かも)郡の「菅田(スカタ)神社」は当社に比定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by