日本大百科全書(ニッポニカ) 「落人伝説」の意味・わかりやすい解説
落人伝説(おちゅうどでんせつ)
おちゅうどでんせつ
自然説明伝説の一つ。中央の高貴な身分の者が、合戦や政争に敗れて僻村(へきそん)の山間邑落(ゆうらく)に定着したとか、それを葬ったとか、その子孫が今日の邑落をつくったとかとする伝説。もっとも多いのは平家の落人が住み着いたとする「平家谷」と、7人の落武者を葬った「七人塚」の伝承である。また、一般とまったく往来しなかった地勢などは、仙境の「隠れ里」と混交して、富貴郷のようにユートピア化して考える所もある。「平家谷」は全国で100以上の数があり、北は福島県境の只見(ただみ)川の谷から信越境の秋山郷、南は宮崎県の椎葉(しいば)村や鹿児島県の喜界(きかい)島、薩南(さつなん)諸島、八重山(やえやま)群島の与那国(よなぐに)島に分布している。有名なのは、かつて日本の三大秘境といわれた徳島県祖谷(いや)、熊本県五家荘(ごかのしょう)、岐阜県白川郷だが、瀬戸内海沿岸地方にも存在している。地元では、平家一族の子孫であることを信じ、伝説における記念物としての旗差し物や鎧(よろい)など所持している場合もあるし、ときには幼帝崩御の跡とか、古墳、塔なども建て、他村の伝承は偽物と断じている。小松(平重盛)の名を名のることも多い。
しかし、共通していえることは、僻村であるために米がとれず、所得も少ないために、狩猟、箕(み)作り、木地屋、行商などを生計の手段とする者が多い。およそ中央貴人の流謫(るたく)の子孫を称する場合は、所得の低い邑落が多く、自給自足の隔絶した生活が変則的な性格づけをなしてきたと思われる。隔絶のゆえに、偽者まがいの特殊宗教者や琵琶(びわ)法師、行商人などの入り込む余地も多かったし、情報も彼らからもたらされ、またその種の芸能者も培われた。悲劇文芸や貴種流離譚(たん)は好まれ、種々に脚色され、これらの地域から出た放浪芸人と呼応して、『平家物語』などの口承を中心とする文芸も、中央に広がっていくことになる。「七人塚」は7人の武士が流れ着いて葬られた塚の伝承である。武士が山伏である場合もある。七人塚は東海三県に多い。敗戦武将が自害のために鎧をかけた桜というのもあるし、平家伝説と結合している場合もある。落武者が休んだ「腰掛石」とか、「杖銀杏(つえいちょう)」「杖栗(つえぐり)」「逆柿(さかがき)」などのように、杖や鞭(むち)を地面に挿したのが根づいたとする弘法巡錫(こうぼうじゅんしゃく)の伝説が、落武者にかわって伝えられている木の伝説も少なくない。
[渡邊昭五]
『「流され王」「説」(『定本柳田国男集5』所収・1963・筑摩書房)』