デジタル大辞泉
「落人」の意味・読み・例文・類語
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おちゅうど おちうど【落人】
[1] (「おちびと」の変化した語。古くは「おちゅうと」とも) 戦いに負けて逃げて行く人。また、人目を忍んで逃げて行く人。
※保元(1220頃か)下「落人と成りぬれば、
何事に付けても思ふに叶はぬ物なれば」
おち‐びと【落人】
※河霧(1898)〈
国木田独歩〉「都からの落人
(オチビト)でなければ斯
(こん)な風をしてはゐない」
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落人 (おちうど)
歌舞伎舞踊。清元。本名題《道行旅路の花聟(はなむこ)》。1833年(天保4)3月江戸河原崎座初演。表裏22幕の《仮名手本忠臣蔵》(俗に《表裏忠臣蔵》)四段目の裏として書かれた。お軽=3世尾上菊五郎,勘平=5世市川海老蔵(7世団十郎)。作詞三升屋二三治。作曲初世清元栄次郎。太夫2世清元延寿太夫。原作の三段目〈裏門の場〉を浄瑠璃化したもの。東海道戸塚の山中で,お軽・勘平の道行があり,花四天を引き連れた鷺坂伴内が二人を追い立回りの所作ダテとなる。
執筆者:板谷 徹
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落人
おちうど
歌舞伎(かぶき)舞踊劇。清元。本名題(ほんなだい)『道行旅路(みちゆきたびじ)の花聟(はなむこ)』。三升屋二三治(みますやにそうじ)作詞。初世清元栄次郎作曲。1833年(天保4)3月江戸・河原崎座(かわらさきざ)の『裏表(うらおもて)忠臣蔵』中の一場面として7世市川団十郎の早野勘平、3世尾上(おのえ)菊五郎のお軽により初演。『仮名手本忠臣蔵』の三段目「裏門」を戸塚山中に場面を移し、華やかな道行舞踊に仕立てたもので、通称は清元の冒頭の文句「落人も見るかや野辺(のべ)に若草の」に由来する。曲も振付けも優れているので大流行し、『忠臣蔵』の通し上演でも、原作の「裏門」のかわりに出すことが多い。
[松井俊諭]
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落人
おちうど
歌舞伎舞踊曲。清元。本名題『道行旅路の花聟 (みちゆきたびじのはなむこ) 』。天保4 (1833) 年江戸河原崎座初演。三升屋二三治作,1世清元栄次郎作曲。『仮名手本忠臣蔵』 11段に裏をつけた『裏表忠臣蔵』の3段目の裏にあたり,本来の3段目切「裏門」を所作事にしたもの。お軽と色にふけり,主君の大事に居合せず,死を決意している早野勘平。それを止めるお軽との道行で,戸塚の山中にさしかかったところが舞台。主君のかたき高野師直 (こうのもろなお) の家来で,お軽に思いを寄せる鷺坂伴内がからみ,はなやかな所作となる。
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落人
(通称)
おちうど
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 道行旅路の花聟
- 初演
- 天保4.3(江戸・河原崎座)
落人
〔清元〕
おちうど
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 初演
- 明治33.11(東京・歌舞伎座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の落人の言及
【清元延寿太夫】より
…美音家で鳴らし,世に〈名人太兵衛〉といわれた。初演した語り物に《[お染]》《[落人]》《[神田祭]》など。三味線は初世斎兵衛,初世栄次郎が弾いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」