田山花袋の中編小説。1907年(明治40)《新小説》に発表。花袋みずからをモデルとした中年の文学者竹中時雄が雑誌社の仕事や結婚生活に倦怠を覚えているとき,ミッション・スクールの神戸女学院の学生横山芳子が父親伴十郎に連れられて入門して来る。時雄は,女をG.ハウプトマンの《寂しき人々》の女子学生アンナ・マールに擬し,その才知と美貌に心ひかれ,芳子の愛人田中秀夫に激しい嫉妬心をいだく。しだいに身辺に非難の眼を感ずるようになったので,保護者の立場にかくれ,芳子を国元に帰した彼は,女の残していった蒲団に顔を埋め,性欲と悲哀と絶望に泣く。H.イプセンが《ロスメルスホルム》において対象にしている問題を取り上げ,明治末期における新旧思想や人間のエゴイズムといった事柄をはじめ,人間内部の醜悪な面の暴露に焦点を据え,自虐的に客観視している。島村抱月は〈肉の人,赤裸々の人間の大胆なる懺悔録〉と評しており,島崎藤村の《破戒》とともに自然主義文学の位置を決定づけた作である。
執筆者:小林 一郎
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田山花袋(かたい)の中編小説。1907年(明治40)9月『新小説』に発表。翌年易風社刊の短編集『花袋集』に収録。中年の文学者竹中時雄が雑誌社の仕事や結婚生活に倦怠(けんたい)を覚えているとき、ミッションスクール神戸女学院の学生である横山芳子が父親に連れられて入門してくる。竹中は女をハウプトマンの『寂しき人々』の女子学生アンナ・マールに擬し、その才知と美貌(びぼう)に心ひかれ、芳子の愛人である田中秀夫に激しい嫉妬(しっと)を感ずる。しだいに非難の目を感じ、保護者の立場に隠れ、女を国元に帰し、残していった蒲団に顔を埋め、性欲と悲哀と絶望に泣くのである。抱月は「肉の人」、赤裸々な「懺悔(ざんげ)録」と評し、自然主義作品としての位置づけをした。
[小林一郎]
『『蒲団』(岩波文庫・角川文庫・新潮文庫)』
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…そして日本の自然主義は日露戦争後に,浪漫詩人の自己転身の形をとって,個の解放を求める主我性が既成の権威を否定して人生の真に徹しようとする志向と結びつくという形で成立した。島崎藤村の《破戒》(1906)と田山花袋の《蒲団(ふとん)》(1907)がその記念碑的な作品である。先駆的存在として,小民(庶民)の生活を描き続けた国木田独歩もいた。…
…最も日本的な文学形態だけに,日本的な偏りを批判されることが多かった。
[発生と日本的特異性]
用語例として〈私小説〉が確立される以前,田山花袋《蒲団》(1907)が赤裸々な恋愛感情を表現したのが私小説の事実上の発祥とされている。ヨーロッパの自然主義の影響による事実尊重と近代自我拡充の欲求が結合して私小説を生んだのである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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