薬物犯罪(読み)やくぶつはんざい

改訂新版 世界大百科事典 「薬物犯罪」の意味・わかりやすい解説

薬物犯罪 (やくぶつはんざい)

麻薬覚醒剤等の危険・有害な薬物を乱用したり,それらの輸入・販売等をする犯罪。日本における薬物犯罪は,第2次大戦前にはほとんど問題となっていなかったが,戦後は重大な社会問題となって今日に至っている。その間の薬物犯罪の推移をみると,およそ三つの大きな波が認められる。

 第1は,戦後の社会的・経済的混乱を背景とした,覚醒剤(ヒロポン)乱用の急激なまんえんである。1951年の覚せい剤取締法施行後も違反者は急増を続けて,54年には検挙人員が5万5664人に達した。そのため,54,55年の2回にわたる罰則強化と徹底した取締りが行われ,第2次大戦後の混乱期が終わり,社会が安定化していくとともに,違反は急減していった。58年には検挙人員が271人にまで減少して,覚醒剤犯罪はほぼ鎮静化した。

 第2は,覚醒剤乱用が減少したのと相前後して顕著になってくるヘロインを中心とした麻薬乱用の増加であり,1963年には麻薬取締法違反による検挙人員が2571人に達している。この第2次薬物乱用期にも,63年の麻薬取締法改正による罰則の大幅な強化と麻薬中毒者の措置入院制度の新設,さらに不正供給組織の強力な摘発などが行われ,麻薬犯罪は64年以降急速に減少し,現在まで少数で推移している。ただし大麻取締法違反については,65年ころから徐々に増加を続け,93年には検挙人員が2055人に達しており,広義の麻薬犯罪の中心となっている。

 続く第3の波は,覚醒剤乱用の再度の流行であり,1970年以降ほぼ毎年増加を続け,84年には検挙人員が2万4372人に達した。その後徐々に減少して94年には1万4896人,2005年には1万3549人となっている。覚醒剤乱用の第2の流行は,大都市地域に限らず全国的に広がっており,一般市民層,とくに少年や家庭の主婦の間にも浸透してきている。覚醒剤は主として東南アジアからの密輸によって国内に流入しているが,その密造密輸入の供給元から何段階もの卸・小売の密売人を経て末端の使用者に至る流通経路には,暴力団が深く関与しており,その主たる資金源になっていると考えられている。覚醒剤乱用は,乱用者およびその家族の生活を破壊してしまうほか,覚醒剤購入資金を得るための犯罪や薬理作用の影響による犯罪も問題となっている。

 このような覚醒剤犯罪に対処するため,1970年以降総理府に〈薬物乱用対策推進本部〉が設けられて覚醒剤乱用の防止運動が進められるとともに,73年の法改正で罰則の強化が行われ,覚醒剤の営利目的による輸出入・製造に対しては最高刑が無期懲役にまで引き上げられた。しかし,これらの対策と厳しい取締りにもかかわらず,なお流行は続いているのが現状である。

 このほか,青少年の間では,1960年ころから睡眠剤の乱用が流行しはじめた。これが薬事法の改正等によっておさまった後は,65年ころからシンナー等の有機溶剤が乱用されるようになった。そのため,72年に〈毒物及び劇物取締法〉(毒劇法)が改正され,シンナー,接着剤等の乱用行為・知情販売行為が禁止,処罰されるようになった。毒劇法違反送致人員は,72年以降急激に増加し,82年に3万6796人に達した後,85年までは3万人台で推移していたが,その後は減少して96年は8697人となっている。シンナー等の乱用は,青少年の心身の健康を害し,死亡事故も毎年少なからず発生している。また,シンナー等の乱用が他の非行や覚醒剤乱用につながることも憂慮されている。

 薬物乱用は日本ばかりでなく世界的な現象であり,欧米諸国をはじめ世界各国が薬物犯罪の取締りに努力している。また,薬物の不正な生産,密輸,販売等は,犯罪組織によって国境を越えて組織的に行われているため,その取締りには国際的な協力が不可欠である。そのため,1961年の麻薬に関する単一条約,71年の向精神薬に関する条約,88年の〈麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約〉(いわゆる麻薬新条約)などの条約が採択され,加盟国に対してさまざまな規制を義務づけている。特に,麻薬新条約は,薬物の流通,用途の規制という従来の規制枠組みに加えて,薬物犯罪の経済的側面に焦点を当てて,犯罪組織が不正取引によって得た利益を規制するための国内的・国際的規制枠組みを設けたものであり,日本も同条約を批准するため,91年に麻薬及び向精神薬取締法を一部改正するとともに,国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための〈麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律〉(いわゆる麻薬特例法)を制定した。麻薬特例法は,薬物犯罪から得た不正な利益(不法収益等)に関するマネー・ローンダリング行為(隠匿・仮装行為)の処罰規定,不法収益等の没収規定,没収・追徴対象財産の保全手続,外国の没収裁判の執行共助手続,コントロールド・デリバリー(薬物の不正取引が発見された場合に,直ちに検挙することなく取締当局の監視の下に薬物の運搬を許容し,追跡して,不正取引に関与する黒幕まで一網打尽にしようとする捜査手法)の許容規定,金融機関にマネー・ローンダリングの疑いのある取引の報告義務を課す規定など,従来の日本の法制度になかった新しい制度を設けている。

 このように薬物犯罪に対して各国で厳しい刑事法的規制が行われているが,薬物の自己使用,特に,マリファナ等の有害性の比較的少ない薬物の自己使用については,刑罰よりも治療を含めた行政措置で対処すべきである,とする非犯罪化の議論も一部では主張されている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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