(服藤早苗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
平安中期の皇后。〈やすこ〉とも読む。藤原師輔の女で,伊尹(これただ),兼通,兼家と同母(藤原盛子)。940年(天慶3),のちの村上天皇のきさきとなり,女御から皇后となった。冷泉・円融天皇らを生み,村上天皇に女御・更衣が多くいたにもかかわらず,後宮にゆるがぬ権勢をたもった。その逸話は《大鏡》などにみられる。964年4月29日,難産により夫天皇に先立って没し,その最期は《村上天皇御記》にくわしく記されている。
執筆者:目崎 徳衛
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村上(むらかみ)天皇の皇后。父は右大臣師輔(もろすけ)。冷泉(れいぜい)(憲平(のりひら)親王)・円融(えんゆう)天皇(守平親王)、為平親王その他多くの親王・内親王の母となった。村上天皇とともに守平の兄為平親王をとくに愛していたが、冷泉天皇即位とともに為平親王は源高明(たかあきら)の女(むすめ)を妻としたため藤原氏の憎むところとなり、親王は東宮になることができず、守平親王が東宮となり円融天皇となった。964年(康保1)選子内親王を産み、まもなく崩じた。宇治(うじ)陵に葬る。のち皇太后、太皇太后を追贈された。兄弟立身の道を図り、師輔の子孫繁栄の基を開き、冷泉天皇即位により藤原氏外戚(がいせき)の基礎を築いた。また村上天皇が師尹(もろただ)の女芳子を女御(にょうご)にし愛したことにより、安子は強い嫉妬心をおこした話は『大鏡』に詳しい。
[山中 裕]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…平安中期の皇后。〈やすこ〉とも読む。藤原師輔の女で,伊尹(これただ),兼通,兼家と同母(藤原盛子)。940年(天慶3),のちの村上天皇のきさきとなり,女御から皇后となった。冷泉・円融天皇らを生み,村上天皇に女御・更衣が多くいたにもかかわらず,後宮にゆるがぬ権勢をたもった。その逸話は《大鏡》などにみられる。964年4月29日,難産により夫天皇に先立って没し,その最期は《村上天皇御記》にくわしく記されている。…
※「藤原安子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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