平安中期の漢文学者,受領階級の文人。藤原四家のうちの式家宇合(うまかい)の後裔。父の敦信は,道長の子頼通の侍講をつとめた文章博士。母は良岑英材の娘,また子の敦基,敦光はともに文章博士となる。明衡は父の業を継ぎ漢学に精通し,和歌にも堪能であった。1004年(寛弘1)16歳で文章院に入学,14年(長和3)26歳で文章得業生となる。しかし累代の儒家でなく,官位も遅々として進まなかった。40歳代の長元年間(1028-37)に官吏登用試験の対策に及第した。この下積みの文人の時期に明衡は二つの事件を起こした。一つは,1034年(長元7)46歳のとき,式部省内の試験で受験生に室外から答えを教えたこと,もう一つは,41年(長久2)文章生の試験に及第できなかった学生に不服を申し立てさせたが,その奏状(申文)を実は明衡が作っていたということである。後冷泉天皇の時代に式部少輔,左衛門尉などを歴任するが,58年(康平1)70歳でまだ式部少輔という卑位にとどまっている。その後,大学頭を経て,60年には文章博士,東宮学士を兼ねた。明衡は当時第一流の才能の持ち主であるにもかかわらず,官位においては不遇であった。位一階の昇進を願って何度も上申した奏状も残っている(《本朝続文粋》巻六)。不遇のままで80歳近い生涯をとじた明衡の代表的な業績は,《本朝文粋》14巻の編纂にある。これは嵯峨朝から後一条朝までの17代200余年間の名家の文章を《文選》の体式にならって撰したものであり,平安朝漢文学の珠玉選である。書簡の模範文集として,中国の書儀にならった《明衡往来(めいごうおうらい)》(《雲州消息》とも)があり,いわゆる往来物のはじめとして,後世に多大な影響を与えた。平安朝社会の上下の職人尽(づくし)ともいうべく,また風刺文学の一面をもつ《新猿楽記》はことに彼の面目を反映する注意すべき作品。その他《本朝秀句》(散逸)もある。
執筆者:川口 久雄
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平安後期の漢詩人。山城守敦信(やましろのかみあつのぶ)の子で15歳ごろに文章院(もんじょういん)に入学したが、対策(官吏登用のための最高試験)に及第したのは40歳を過ぎていた。それからまもなく大学の入学試験に際し二度も不祥事件を引き起こしている。彼は公卿(くぎょう)に頼まれて文章を書き、詩宴で多くの詩を賦したが、官位は停滞して卑官に甘んじ、晩年ようやく文章博士や大学頭になることができた。その子に敦基(あつもと)・敦光(あつみつ)の秀才が現れ、その子孫は院政期の学界に君臨した。作品は『本朝続文粋(もんずい)』や『本朝無題詩』などに収められているが、長年の沈淪(ちんりん)した境遇からわが身を嘆く暗い色調の詩文が多い。彼のもっとも大きな功績は平安時代の名文を集めて『本朝文粋』を編纂(へんさん)し、秀句を集めて『本朝秀句』(散逸)をつくり、わが国最初の書簡文集『明衡往来(めいごうおうらい)』を編し、都の庶民生活を取り上げて『新猿楽記(しんさるがくき)』を書いたことで、その卓越した才能と儒家出身でない自由な精神がもたらしたものといえる。
[大曽根章介]
(後藤昭雄)
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?~1066.10.18
平安中期の儒者・文人。式家。字は耆莱(きらい)あるいは安蘭(あんらん)。儒家出身でないため対策に及第するのに年月を要したが,後冷泉朝で文章(もんじょう)博士・東宮学士・大学頭などを歴任し,従四位下に至った。当代一流の学者で,「本朝文粋(もんずい)」「本朝秀句」を編み,「新猿楽記」「明衡(めいごう)往来」を著した。作品は「本朝続文粋」「本朝無題詩」に収める。
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…しかし文学の主流は大江匡房の《続本朝往生伝》に見られるごとく漢文学で,大江維時撰の《千載佳句》,紀斉名(ただな)撰の《扶桑集》,高階積善撰の《本朝麗藻》,大江匡衡の《江吏部集》,藤原公任撰の《和漢朗詠集》などが今日に伝えられ生彩を放つ。藤原明衡編の《本朝文粋》はこの期の作品を多く収めていて,珍重すべき漢詩文芸の宝庫である。このころになると,有力な詩人たちの層も下級貴族層に移り,漢詩文を支えてきた儒学者たちは大江氏,菅原氏を中心に門閥を形成するようになる。…
…平安後期の漢文体記類作品。藤原明衡(あきひら)の著。1052年(永承7)前後の成立と考えられる。…
…詩中心の総集《扶桑集》(紀斉名(ただな)撰)に対して,日本最初の文中心の総集。編者は藤原明衡(あきひら)。1058年(康平1)ごろの成立か。…
…3巻。平安時代の漢文学者藤原明衡(あきひら)の著。明衡が出雲守であったので《雲州消息》《雲州往来》などともよばれる。…
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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