共同通信ニュース用語解説 「藤原良相」の解説
藤原良相
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平安前期の官人。藤原冬嗣の五子で母は尚侍藤原美都子。その出自とともに,度量広大にして才幹ありと評された資質とあいまって栄達の途も保証されていたが,政治家より文人的な志向が強く,崇親院に自存できない一族の子女を収容したりした。834年(承和1)蔵人となり,左近衛少将を経て,承和の変では近衛を率いて行動し,848年(嘉祥1)には参議となり,右大弁,春宮大夫を経て851年(仁寿1)には従三位権中納言となった。ついで大納言,右近衛大将となり,857年(天安1)には右大臣となった。66年(貞観8)12月に致仕を請うたが許されず,翌年10月没し,正一位が贈られた。貞観格式の編纂にかかわり,《続日本後紀》の編集にも参画した。その生涯は藤原良房の陰にかくれている感がつよい。
執筆者:佐藤 宗諄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
平安前期の官僚。冬嗣(ふゆつぐ)の第五子で、母は尚侍(ないしのかみ)藤原美都子(みつこ)。名は「よしすけ」とも。その出自、度量広大にして才幹ありと評された資質などからすれば栄達の途は保証されていたといえるが、文人的生活を好んだらしく、仏教に帰依(きえ)し、東六条の崇親院(すうしんいん)に貧困の一族の子女を収養した。蔵人(くろうど)、左近衛(さこのえ)少将を経て、承和(じょうわ)の変(842)では兵衛(ひょうえ)の兵40人を率いて行動し、848年(嘉祥1)参議、右大弁、陸奥出羽(むつでわ)按察使、春宮大夫(とうぐうだいぶ)を経て、中納言(ちゅうなごん)から大納言近衛大将となり、857年(天安1)には右大臣となった。応天門の変(866)後に致仕(ちし)を願ったが許されず、翌年没した。兄良房に隠れてあまり目だたないが、良房政権を支える存在でもあったらしい。『貞観格式(じょうがんきゃくしき)』『続日本後紀(しょくこうき)』の編纂(へんさん)にも加わっている。
[佐藤宗諄]
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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