藤山 雷太(読み)フジヤマ ライタ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「藤山 雷太」の解説

藤山 雷太
フジヤマ ライタ


肩書
貴院議員(勅選),大日本製糖社長,東京商業会議所会頭

生年月日
文久3年8月1日(1863年)

出生地
肥前国松浦郡大里村(佐賀県伊万里市)

学歴
長崎師範〔明治13年〕卒 慶応義塾〔明治20年〕卒

経歴
佐賀藩士の三男に生まれる。長崎師範卒業後、郷里で小学校教師を務め、のち上京して慶応義塾に学ぶ。明治20年帰郷し、同年佐賀県議に選ばれ、ついで議長となり、外国人居留地買収問題などで活躍。のち上京、25年実業界に転じて師の福沢諭吉のすすめで三井銀行に入り、諭吉の義兄・中上川彦次郎を助けて三井財閥の改革にあたる。中上川に抜擢され芝浦製作所所長に就任、さらに中上川の内命で王子製紙の乗取りに成功。三井を去ったのち、東京市街電鉄、日本火災、帝国劇場などの創立に参加。42年大日本製糖会社(日糖)の不始末による破綻のあとをうけ、渋沢栄一推挙で同社社長に就任し、再建に成功、一躍財界重きをなした。以来、日糖を中心に台湾製糖、パルプ業の発展に貢献、藤山コンツェルンの基礎を築いた。大正6〜14年東京商業会議所会頭。12年勅選貴院議員。他に藤山同族社長、大日本製氷会長、日印協会理事、また三井、安田共同の各信託会社の相談役取締役を務めるなど、その活動は多岐にわたり、財界の一方の雄として活躍した。著書に「満鮮遊記」「熱海閑談録」などがある。

没年月日
昭和13年12月19日

家族
長男=藤山 愛一郎(実業家政治家) 二男=藤山 勝彦(大日本製糖会長) 息子=藤山 洋吉(日東化学工業副社長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「藤山 雷太」の解説

藤山 雷太
フジヤマ ライタ

明治〜昭和期の実業家 大日本製糖社長;東京商業会議所会頭;貴院議員(勅選)。



生年
文久3年8月1日(1863年)

没年
昭和13(1938)年12月19日

出生地
肥前国松浦郡大里村(佐賀県伊万里市)

学歴〔年〕
長崎師範〔明治13年〕卒,慶応義塾〔明治20年〕卒

経歴
佐賀藩士の三男に生まれる。長崎師範卒業後、郷里で小学校教師を務め、のち上京して慶応義塾に学ぶ。明治20年帰郷し、同年佐賀県議に選ばれ、ついで議長となり、外国人居留地買収問題などで活躍。のち上京、25年実業界に転じて師の福沢諭吉のすすめで三井銀行に入り、諭吉の義兄・中上川彦次郎を助けて三井財閥の改革にあたる。中上川に抜擢され芝浦製作所所長に就任、さらに中上川の内命で王子製紙の乗取りに成功。三井を去ったのち、東京市街電鉄、日本火災、帝国劇場などの創立に参加。42年大日本製糖会社(日糖)の不始末による破綻のあとをうけ、渋沢栄一の推挙で同社社長に就任し、再建に成功、一躍財界に重きをなした。以来、日糖を中心に台湾製糖、パルプ業の発展に貢献、藤山コンツェルンの基礎を築いた。大正6〜14年東京商業会議所会頭。12年勅選貴院議員。他に藤山同族社長、大日本製氷会長、日印協会理事、また三井、安田、共同の各信託会社の相談役、取締役を務めるなど、その活動は多岐にわたり、財界の一方の雄として活躍した。著書に「満鮮遊記」「熱海閑談録」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「藤山 雷太」の解説

藤山 雷太 (ふじやま らいた)

生年月日:1863年8月1日
明治時代-昭和時代の実業家。大日本製糖社長;貴族院議員
1938年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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