JR浜松駅から西北西3km,浜松市中区蜆塚4丁目に所在。三方原洪積台地上に営まれた,ヤマトシジミを主体とする縄文時代後・晩期の貝塚。17世紀後半から蜆塚の地名が文献に現れるが,貝塚として学界に知られたのは,1889年であった。1955年から58年にかけて4次にわたる発掘調査が行われた。台地の平坦部に東西2群に分かれて28基以上の平地式住居跡が並び,これらに一部重なって楕円形の穴に死者を屈葬した墓地群が接し,住居跡群と墓地群になかば重複して東西に貝塚が広がる。さらに北側に厚さ2mに達する斜面貝塚があり,三つの貝塚と二つの住居跡群・墓地群が,中央の広場を囲むような形になっている。東西90m,南北130m。出土品には,新潟県小滝産硬玉の大珠や長野県産黒曜石の石鏃等,交易を示す資料,石鏃が突きささったシカの骨盤のような生々しい狩猟活動の資料がある。59年史跡に指定され,公園として保存整備されている。
執筆者:向坂 鋼二
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