日本大百科全書(ニッポニカ) 「蝋山政道」の意味・わかりやすい解説
蝋山政道
ろうやままさみち
(1895―1980)
政治学者。群馬県生まれ。1920年(大正9)東京帝国大学法学部卒業。24年『政治学の任務と対象』を著す。28年(昭和3)東大教授、政治学講座担当。33年創設の昭和研究会の中心メンバーであり、近衛文麿(このえふみまろ)のブレーンであった。39年「東亜協同体の理論」を発表。同年河合栄治郎筆禍事件に抗議して東大辞任。41年大政翼賛会に入り、翌年衆議院議員。敗戦後議員を辞職。『中央公論』、政治教育協会に拠(よ)り民主主義の啓蒙(けいもう)に努力した。『日本における近代政治学の発達』(1950)、『比較政治機構論』(1950)、『政治学原理』(1952)を出版。政治的にはマルクス主義と一線を画し譲らず、民主社会主義の理論的啓蒙を行う。憲法調査会では改正の歯止め役であった。お茶の水女子大学長(1954~59)をはじめ多くの公職を歴任。大勢に同調することなく平衡感覚をもった貴重な存在であった。
[村田克己]
『『政治学の任務と対象』(中公文庫)』