明の兵制。兵農一致を旨とした唐の府兵制に範をとり,民戸と区別した軍戸をもって編成した平時の軍事制度。洪武帝時代に成立。2総旗10小旗(小旗は兵10人,総旗は5小旗を統率)で百戸所(112人),10百戸所で千戸所,5千戸所で1衛(5600人)を構成し,百戸,千戸,指揮使がそれぞれ統率した。府,州,県などに設置され,中央の五軍都督府に属する地方の都指揮使司の管轄下にあった。軍戸は軍餉(ぐんしょう)を受け,交替で京師,辺境の防衛にあたった。また軍屯が設けられ,守城兵,屯田兵に分かれて分守,分屯したが,中期以後その崩壊とともに衰えた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
中国、明(みん)代の軍事制度。京師(けいし)(都)にあって天子を護衛する衛所と、地方にあって治安維持と国防の任にあたる衛所とに大別される。地方州県の要衝の地に置かれた衛所は、都指揮使司(としきしし)(長官は都指揮使)に統率され、都司はまた京師にある衛所とともに、中央の五軍都督府(ととくふ)(長官は都督)に統率された。所は一州の兵を管轄し、数州府の兵を管轄するときには衛が置かれた。一衛(長官は指揮使)は左右中前後の五つの千戸所からなり、千戸所は10の百戸所からなり、百戸所は112戸からなる。つまり一衛の兵数は原則として5600人であった。衛は全国に300余、所は60余あり、軍士が屯田を耕して自給自足し、それによって軍費いっさいをまかなうたてまえであった。しかし、中期以後、官僚豪族の軍屯侵占、軍士の逃亡、軍籍の脱漏などのために、自給自足体制が崩れて衛所制の維持は困難となり、明末の衛所は甚だ無力な存在となった。
[川越泰博]
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