中国の官名。本来軍司令官を意味するが,この職名で軍政長官を務める場合が多い。後漢末,軍隊が民政から分離独立し始めるころから都督の名が出現,三国魏では222年(黄初3)都督諸州軍事を置き,管下諸州の軍事権を統轄するとともに,中心になる州の刺史を兼ねた。都督一州諸軍事の場合もある。都督は都督府を開いて長史,司馬などの府官を置いたが,府官はやがて管下の刺史をも兼ねるようになり,全国の行政は各地の都督府の軍事支配に委ねられることになる。以後六朝全期を通じてこのような分権体制が行われる。中央ではこれら地方兵権と中央軍とを一手に統べる都督中外諸軍事が置かれて国政を専断することがあった。隋・唐の中央集権制強化の過程で都督(ときに総管ともいう)の兵権は弱められたが,唐代重要な州に,都督府の名義を与えて周辺諸州を監督させたことに,その痕跡が見られる。六朝時代,都督諸州(国)軍事は高句麗,倭など周辺諸民族の首長にも冊授され,唐の都督府-州-県の制度も,周辺民族への羈縻(きび)政策に適用された。都督の名称は,北朝に見られるように,大都督-帥都督-都督-子都督などのように武官の階級を表示するのにも使われた。唐代節度使体制の盛行以後都督の名称はすたれたが,元ではモンゴル人の兵団を万戸府より格の高い大都督府で統轄することがあり,明でも内外の軍戸を大都督府の下に掌握し,のちこれを左・右・中・前・後の五軍都督府に分属させた。清代にはこれを廃止したが,辛亥革命によって各省が独立すると,都督が各省の軍政府長官として軍政・民政をつかさどったが,やがて袁世凱のために兵権を奪われた。日本では大宰帥を唐風に都督とよび,日露戦争後南満州経営のため一時関東都督府を置いたことがある。
執筆者:谷川 道雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国に歴代用いられた軍職の名。総司令の意味。三国魏(ぎ)に始まり、南北朝を通じて存続した。地位の重い者は征討軍の長として都督中外諸軍と称し、地方重鎮の都督は民事をつかさどる刺史(しし)を兼ねた。唐代には諸道に24都督府を置き、その長たる都督には大中下の三等級があったが、唐中葉以後、節度使にその職を譲った。宋(そう)代は南渡ののち、宰相の出鎮して軍事を領する者に都督諸軍事の号を加え、地位の下る者は督視と称した。明(みん)代、中央で軍政をつかさどる官庁に、中軍・左軍・右軍・前軍・後軍の五都督府があり、各府に左右の都督があって、天下衛所の軍隊を分掌した。清(しん)代、軍政は八旗を中心とするので都督府はなく、中華民国の初めに一時各省に都督を置いたが、まもなくこれを廃し、督軍がかわって権力を振るった。
[宮崎市定]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…周辺諸民族の討滅や帰順で,唐の支配は,東は朝鮮半島から西は中央アジアに,北はシベリア南辺から南はインドシナ半島におよんだ。唐はこの広大な地域を統治するために,部族ごとに都督府を,その下に州を置いた。それらの長官である都督,刺史には各部族の長をそのまま任命し,それら全体を統括する機関として都護府を置いた。…
※「都督」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加