追捕使(読み)ついぶし

精選版 日本国語大辞典 「追捕使」の意味・読み・例文・類語

ついぶ‐し【追捕使】

〘名〙 平安時代に地方の治安維持のために任命された官。賊の横行叛乱の発生に際し、主として諸道単位に任じられる臨時の官であったが、のち国単位の常置の官となった。国司の申請により武芸にすぐれた在地の豪族が任命され、犯罪人の捜査逮捕に当たった。また、平安末期には荘園・神社域内の警備に当たる者をも称した。これらはすべて鎌倉幕府総追捕使(守護)・地頭の設置により、とってかわられた。ついふくし。
※日本紀略‐天慶三年(940)正月一日「今日任東海・東山・山陽道等追捕使以下十五人
[補注]元来追捕は衛府および検非違使が当たったが、追捕使の名で補任されたのは、「貞信公記‐抄・承平二年四月二八日」に見える、平将門の乱を機にしたものが最初である。

ついふく‐し【追捕使】

〘名〙 =ついぶし(追捕使)色葉字類抄(1177‐81)〕

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デジタル大辞泉 「追捕使」の意味・読み・例文・類語

ついぶ‐し【追捕使】

平安時代、治安を乱す者の逮捕・鎮圧に任命された官。国司郡司の中から武勇の者が選ばれた。初め臨時の官であったが、のちには常置となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「追捕使」の意味・わかりやすい解説

追捕使 (ついぶし)

平安時代の軍事担当官。令外官(りようげのかん)の一つ。〈ついぶうし〉〈ついぶくし〉ともいう。初見は932年(承平2)で,瀬戸内海海賊を討滅するために朝廷によって任命されている。ついで東国での平将門の乱,西国での藤原純友の乱の激化したときに何人かが任命されており,乱の鎮定に活躍した。このときは山陽道,南海道などの道という広域を対象地域として任命されているが,乱後には一国を単位とする追捕使が置かれるようになってくる。律令国家衰退とともに各地域の治安が乱れ,それを国単位で守ることが任務であった。この場合は前代のように中央政府によってではなく国衙によって任命される地方官である。徐々に各国に設けられていくが,同様の軍事官職である押領使(おうりようし)の任命地域との違いや職務権限の差などは明らかでない。鎌倉幕府は1185年(文治1)に惣追捕使(守護)を全国に任命するが,これはその名のとおり追捕使のもつ軍事的権限を吸収して武家政権の地方行政組織としたものである。なお,荘園にも追捕使が荘官として設置された場合があって,荘園内部での治安維持などにあたったと思われる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「追捕使」の意味・わかりやすい解説

追捕使
ついぶし

「ついぶくし」ともいう。凶賊を追捕取締ることを任務とする臨時の地方官の一つ。多くは国司郡司子弟で武芸に秀でた者が任じられた。承平2 (932) 年4月摂政藤原忠平が追捕海賊使のことを定めたのが追捕使の初見。次いで天慶3 (940) 年平将門の乱にも東海・東山・山陽道に臨時におかれた (→承平・天慶の乱 ) 。のち国司の管内にも設置されて次第に常置の官となり,治安の維持にあたった。畿内では勅宣を奉じて,諸国では国司が太政官などに提出する国解 (こくげ) によって,律令政府に申請し,補任されるのが例であった。また追捕使は荘園,社寺にも職名として用いられた。源頼朝は文治1 (1185) 年義経,行家追捕のため諸国に惣追捕使の設置を勅許された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「追捕使」の意味・わかりやすい解説

追捕使
ついぶし

平安時代の警察的官職。いわゆる令外官(りょうげのかん)で、律令のなかに職掌上の規定をもたない。史料上の初見は932年(承平2)で、海賊の鎮圧を目的として設置された。古代日本の軍事・警察権は基本的には各国々を単位として発動されるから、海賊のような広範囲にわたって活動する集団は対象としにくく、したがって追捕使が創設されるところとなった。東海道・東山道といった広い地域が対象となったが、やがて各国ごとに任命されるようになり、国司制度と相まって軍事・警察行動に活躍した。任命されたのは主として現地の土豪で、地域の実情を知悉(ちしつ)しているということでもっともふさわしい存在であった。鎌倉幕府の総追捕使(守護)の源流の一つともなった。

[井上満郎]

『井上満郎著『平安時代軍事制度の研究』(1980・吉川弘文館)』

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百科事典マイペディア 「追捕使」の意味・わかりやすい解説

追捕使【ついぶし】

平安時代,凶賊追捕・反乱鎮圧のために設けた官。令外官(りょうげのかん)の一つ。初め臨時の官,のち常置。1185年源頼朝は諸国に総(惣)追捕使を置いた。→守護
→関連項目衛門府惣追捕使平野殿荘

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「追捕使」の解説

追捕使
ついぶし

10世紀中葉以降,諸国におかれた凶党の追捕機関。令外官(りょうげのかん)。押領使(おうりょうし)と同じく国司が国解(こくげ)で国内有力武士を推挙し,官符で任命される。武装蜂起(凶党)が発生すると,国司は太政官に報告して追捕官符をうけ,それにもとづいて追捕使は国内武士を動員し,凶党集団を追捕する。追捕使は畿内近国・山陽・南海道諸国,押領使は東国・山陰・西海道諸国を範囲とする傾向がある。鎌倉幕府守護制度は,押領使・追捕使の権限を継承したもの。

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旺文社日本史事典 三訂版 「追捕使」の解説

追捕使
ついぶし

平安中期以降設置された令外官 (りようげのかん)
国司・郡司などから任命され,叛徒の追捕,海賊・盗賊などの鎮圧にあたった。932年に臨時の官として置かれたが承平・天慶の乱(935〜941)後諸国に常置。1185年,源頼朝が諸国に総追捕使を設置したが,これがのちの守護となった。

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