追捕使(読み)ついぶし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

追捕使
ついぶし

「ついぶくし」ともいう。凶賊を追捕取締ることを任務とする臨時の地方の一つ。多くは国司郡司の子弟で武芸に秀でたが任じられた。承平2 (932) 年4月摂政藤原忠平が追捕海賊使のことを定めたのが追捕使の初見。次いで天慶3 (940) 年平将門にも東海・東山・山陽道に臨時におかれた (→承平・天慶の乱 ) 。のち国司の管内にも設置されて次第に常置の官となり,治安の維持にあたった。畿内では勅宣を奉じて,諸国では国司が太政官などに提出する国解 (こくげ) によって,律令政府に申請し,補任されるのが例であった。また追捕使は荘園社寺にも職名として用いられた。源頼朝は文治1 (1185) 年義経,行家追捕のため諸国に惣追捕使の設置を勅許された。

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百科事典マイペディアの解説

追捕使【ついぶし】

平安時代,凶賊追捕・反乱鎮圧のために設けた官。令外官(りょうげのかん)の一つ。初め臨時の官,のち常置。1185年源頼朝は諸国に総(惣)追捕使を置いた。→守護
→関連項目衛門府惣追捕使平野殿荘

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世界大百科事典 第2版の解説

ついぶし【追捕使】

平安時代の軍事担当官。令外官(りようげのかん)の一つ。〈ついぶうし〉〈ついぶくし〉ともいう。初見は932年(承平2)で,瀬戸内海の海賊を討滅するために朝廷によって任命されている。ついで東国での平将門の乱,西国での藤原純友の乱の激化したときに何人かが任命されており,乱の鎮定に活躍した。このときは山陽道,南海道などの道という広域を対象地域として任命されているが,乱後には一国を単位とする追捕使が置かれるようになってくる。

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大辞林 第三版の解説

ついぶし【追捕使】

平安時代、犯罪人や凶徒の追捕・鎮定のため、朝廷から任命された臨時の官。令外りようげの官。のちに国ごとに常置され、社寺や荘園にも置かれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

追捕使
ついぶし

平安時代の警察的官職。いわゆる令外官(りょうげのかん)で、律令のなかに職掌上の規定をもたない。史料上の初見は932年(承平2)で、海賊の鎮圧を目的として設置された。古代日本の軍事・警察権は基本的には各国々を単位として発動されるから、海賊のような広範囲にわたって活動する集団は対象としにくく、したがって追捕使が創設されるところとなった。東海道・東山道といった広い地域が対象となったが、やがて各国ごとに任命されるようになり、国司制度と相まって軍事・警察行動に活躍した。任命されたのは主として現地の土豪で、地域の実情を知悉(ちしつ)しているということでもっともふさわしい存在であった。鎌倉幕府の総追捕使(守護)の源流の一つともなった。[井上満郎]
『井上満郎著『平安時代軍事制度の研究』(1980・吉川弘文館)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

ついふく‐し【追捕使】

〘名〙 =ついぶし(追捕使)色葉字類抄(1177‐81)〕

ついぶ‐し【追捕使】

〘名〙 平安時代に地方の治安維持のために任命された官。賊の横行・叛乱の発生に際し、主として諸道単位に任じられる臨時の官であったが、のち国単位の常置の官となった。国司の申請により武芸にすぐれた在地の豪族が任命され、犯罪人の捜査逮捕に当たった。また、平安末期には荘園・神社域内の警備に当たる者をも称した。これらはすべて鎌倉幕府の総追捕使(守護)・地頭の設置により、とってかわられた。ついふくし。
※日本紀略‐天慶三年(940)正月一日「今日任東海・東山・山陽道等追捕使以下十五人
[補注]元来追捕は衛府および検非違使が当たったが、追捕使の名で補任されたのは、「貞信公記‐抄・承平二年四月二八日」に見える、平将門の乱を機にしたものが最初である。

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