精選版 日本国語大辞典 「衣関」の意味・読み・例文・類語 ころも‐の‐せき【衣関】 [ 1 ] 平安時代末期、安倍氏が設けた関所。岩手県西磐井郡平泉町もしくは同県胆沢郡衣川村の近くに、蝦夷(えみし)の侵入を防ぐために設けられたもので、源義経が戦死した場所として名高い。また、古来、和歌で、陸奥(みちのく)の歌枕となっている。衣川の関。衣川の柵(き)。[初出の実例]「もろ友にたたまし物をみちのくの衣の関をよそにきくかな」(出典:和泉式部集(11C中)下)[ 2 ] ⇒ころも(衣)の関 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「衣関」の解説 衣関ころものせき 宮城県:柴田郡柴田町衣関陸奥国に置かれた関で、裁(た)ち・袖・着(て)などの縁語で装飾されながら、陸奥国を象徴する美的な歌名所として多くの歌に詠まれた。天暦五年(九五一)に撰集の命が下された「後撰集」に「ただちともたのまざらなん身に近きころものせきもありといふなり」と詠まれているのが早期の例で、一〇世紀末に陸奥守として任地で没した藤原実方には「わかるともころものせきのなかりせばそでぬれましやみやこながらも」(実方集)など、当関の詠三首が知られる。 衣関ころものせき 岩手県:西磐井郡平泉町衣関平安時代に平泉町および胆沢(いさわ)郡衣川(ころもがわ)村付近の衣川流域にあったとされる関名。衣川関・衣河関とも記す。延暦二一年(八〇二)の胆沢城(現水沢市)造営当初から設置されたとする説もあるが,源重之の歌集「重之集」に「ころもかわのせき」とあるのが記録上の初見で、一〇世紀末頃と思われる。また藤原清衡は中尊寺内に関路を開いたともいわれる。「陸奥話記」および「吾妻鏡」文治五年(一一八九)九月二七日条によれば、衣川流域は安倍氏の拠点で、前九年の役においては衣川関の攻防があった。遺構は未確認で、比定地には現衣川村域説もあるが、「内なる境」の寺すなわち関山中尊寺の北麓の衣川南岸説もあり、付近は字衣関の地である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報