製粉業(読み)せいふんぎょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「製粉業」の意味・わかりやすい解説

製粉業
せいふんぎょう

原料の小麦を粉砕して、麬(ふすま)と胚乳(はいにゅう)部分とに分離して小麦粉を製造する工業。需要に応じて、薄力粉(はくりきこ)(高級菓子用)、強力粉(きょうりきこ)(高級パン用)、普通粉(麺(めん)用)、準強力粉(一般パン用)、特殊粉(グルタミン酸ナトリウム用等)などに分けて製造されている。

 製粉業は世界最古の工業で、西洋機械化文明の発達の一因をなしたともいわれる。古代には手臼(てうす)式で製粉され、その後長い間水車動力とする石臼製粉の時代が続いたが、1820年ごろからロール式製粉機、70年ごろから胚乳粗粒(はいにゅうそりゅう)精選機が用いられ、1835年ごろからの絹篩(きぬふるい)の使用と相まって製粉工業の産業革命を達成した。

 わが国でも、明治以前は水車による石臼製粉であったが、1873年(明治6)にロール式製粉機が輸入され、官営工場も設立されて近代的工業化し、97年以降日清(にっしん)・日露戦争を経た段階から本格的大規模工場が設立された。その後、輸出産業としても地歩を固めたが、第二次世界大戦中に原料小麦の輸入がとだえ衰退して、1948年(昭和23)以降、アメリカなど外麦の原料小麦輸入により再開し、近年では臨海地域に大型サイロと近代的大型製粉工場が建設され、食品コンビナート化が図られている。また、輸入原料入手が不利である小規模内陸工場の統廃合が進み、工場は山工場から海工場へと立地移動した。

 日本の製粉工業の生産量は、1960年の237万トンから96年(平成8)の497万トンへと2.1倍の増加をみたが、製粉工場数は1947年の4490工場から60年556、82年209、96年174工場へと大幅な減少を示した。製粉業の生産集中度はきわめて高く、日清製粉日本製粉、昭和産業の上位3社の市場占有率は6割に及んでいて、中小企業の系列化が強まっている。

 製粉業の原料である小麦は、これまで内麦、外麦とともに食糧管理法により政府によって割当数量、価格などが決定され、製粉企業は国際相場の影響を受けずに安定した原料供給にあずかってきたが、「自由化」の方向で大幅な制度改正が進行中である(「新たな麦政策大綱」1998)。国内産小麦は1973年には20万トンまで急減、その後88年の100万トンへと生産回復を示すものの、生産者麦価の引下げ・低迷もとでふたたび減少し、96年で48万トンにとどまっている。

[保志 恂・加瀬良明]

『諫山忠幸監修『日本の小麦産業』(1982・地球社)』『日本麦類研究会編・刊『小麦粉―その原料と加工品』(1981)』『長尾精一著『小麦とその加工』(1984・建帛社)』『柴田茂久・中江利昭編著『小麦粉製品の知識』(1990・幸書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「製粉業」の意味・わかりやすい解説

製粉業 (せいふんぎょう)

小麦から小麦粉を製造する工業。日本の製粉業は,原料小麦が食糧管理制度の対象となっているため,政府から前年の生産量に応じて供給されており,規制色の強い業界となっている。また,業界構造は大手メーカーと中小メーカーが混在する形であり,メーカー数は150社を超えているが,日清製粉,日本製粉,昭和産業をはじめとする上位10社のシェアは80%に達しており,年々高まっている。

 日本の製粉業は,江戸時代末期には麵(めん)用に水車と石うすを用いた農村工業として成立していた。明治に入り1873年,日本最初の機械式製粉工場として東京浅草に官営工場が建設された。のちに払い下げられ,他の工場と合併して東京製粉となった。76年北海道開拓使が蒸気機関を用いた製粉工場を建設し,続いて85年に,ヨーロッパで使われはじめたロール式製粉機を導入した。96年には東京製粉を継承して,日本製粉が近代的製粉会社として設立された。

 99年に小麦粉に関税がかけられるようになり,輸入小麦粉の代替需要が生じたため,製粉業への投資が活発化し,1900年には日清製粉の前身である館林製粉が設立された。さらに日露戦争による軍需の増大で製粉業は活況を呈したが,戦後すぐに供給過剰が表面化し,中小製粉メーカーの多くは整理された。第1次大戦により,輸出が急増したこと,国内の製パン,製菓用の需要も増加したことにより再び活況を呈した。また,生産の増加,輸出の増加から原料が国産小麦から輸入小麦に移ってきたため,大規模な臨海工場が25年ころから相次いで建設された。しかし,同時に製粉能力が過剰となってきたため,製粉業界は苦境に陥り,日本製粉は27年三井物産と製品販売契約を結ぶに至った。30年代には中国向けの輸出が急増するとともに,海外進出も活発化したが,37年以降戦時統制が強まり,生産量も低下した。

 第2次大戦後の日本の製粉業は,食糧不足を反映して政府から小麦の委託加工を受ける形で再スタートした。戦後の混乱期に多数の小規模業者が誕生したが,これらのメーカーは,食糧需給の緩和から52年委託加工制が廃止され,原料買取加工制が実施されたことに伴い,原料買取資金,販売力の点で大手メーカーとの競争に敗れ,多くが整理されていった。その後小麦粉生産量は,食生活の洋風化により1人当りの小麦粉消費量が急速に増加し戦前の3倍以上となったため,60年の220万tから75年には400万tにまで拡大した。しかし,それ以降は農林省(1978年に農林水産省と改称)が余剰米問題から小麦の消費を抑制する方針をとっているため,生産量は強含み横ばいで推移しており(1994年の生産は469万t),メーカー各社は過剰能力に悩まされている。また,販売力のない中小メーカーから大手が小麦粉を購入するというアンバランスもみられる。なお1955年ころから真空パイプで原料を運搬するニューマチックミルが導入されるようになり,品質の向上が図られるとともに能力の拡大が行われた。
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百科事典マイペディア 「製粉業」の意味・わかりやすい解説

製粉業【せいふんぎょう】

小麦粉を製造する工業。日本では従来,内陸に立地し国内産原料を使う山工場と,輸入港近くに立地し海外原料を使う海工場に分けていたが,近年の小麦粉消費,原料輸入の増大から臨海の近代的大工場が建設され,後者の比重が圧倒的となった。企業数は132(1998年3月)で,多くは中小企業である。1996年出荷額5210億円。また1997年生産量は466万tで,その約7割を日清製粉(現日清製粉グループ本社),日本製粉などの大手4社が占め,食品工業の中でも集中度の高い部門である。2006年4月には富士製粉と日東製粉が合併し日東富士製粉となった。

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