着物の上半分を地染めした無地のままに残し、裾回りにだけ模様を置いたものをいう。模様の高さから7寸、5寸、3寸(1寸は約3.8センチメートル)などに分けられる。元禄(げんろく)(1688~1704)以後、女子の衣装は帯幅が広がり、腰にその結び目が大きく固定されるようになったため、着物の模様がしだいに裾のほうへ送られるようになる。1713年(正徳3)版の『正徳雛形(しょうとくひいながた)』(西川祐信(すけのぶ)画)には裾模様が描かれているが、おそらくこのころから流行したのだろう。『守貞漫稿(もりさだまんこう)』によると、宝暦(ほうれき)年間(1751~1764)になると5寸の裾模様が流行し、その後3寸に移ったことが記されている。守貞の活躍した文化・文政期(1804~1830)には娘は7寸、若い婦人は5寸、中年の婦人は3寸を用いたが、京・大坂では江戸に比べ概して高い裾模様が好まれたようである。1858年(安政5)版の『奥女中袖鏡(そでかがみ)』には、御三ノ間御乳等本式服として、また小姓、側女(そばめ)の略服にも裾模様が用いられたと記されており、こうした流行は町方ばかりでなく大奥にまで及んでいたことがわかる。しかし今日の裾模様は、こうした文字どおり裾回りだけに模様を配したもののほか、江戸褄(づま)といって衽(おくみ)から前身頃(みごろ)を経て後ろ身頃へとしだいに模様の高さが低くなってゆくものや、島原模様といって胸から肩のあたりまで模様が伸びたもの、あるいは帯のすぐ下から袖(そで)にかけて模様を置いた振袖模様まで含めて、裾模様とよぶことがある。
[村元雄]
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