西求女塚古墳(読み)にしもとめづかこふん

日本歴史地名大系 「西求女塚古墳」の解説

西求女塚古墳
にしもとめづかこふん

[現在地名]灘区都通三丁目

味泥大塚山みどろおおつかやま古墳ともよばれる。古墳時代前期初め頃の築造と考えられる。東求女塚古墳(東灘区)に対する名称で悲恋物語の伝承をもつ(→求塚都賀とが川西岸から約二〇〇メートルにある東向きの前方後方墳。旧海岸線までの距離は約二〇〇メートル。洪積台地の南縁に立地し、標高約七メートル。墳丘前方部の改変が著しいが、現在は公園として保存されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「西求女塚古墳」の解説

にしもとめづかこふん【西求女塚古墳】


兵庫県神戸市灘区都通にある古墳。県の南東部、六甲山系と大阪湾に挟まれた標高6~8mの扇状地上に立地する古墳時代前期初頭の前方後方墳。古墳の存在は古くから知られており、『万葉集』などでは悲恋伝説の舞台として語り継がれてきた。発掘調査は1985年(昭和60)から始められ、1995年(平成7)の阪神・淡路大震災で中断したが、2002年(平成14)に終了。その結果、1596年(慶長1)に発生した慶長伏見大地震によって、墳丘や埋葬施設である竪穴(たてあな)式石室が地滑り崩落の被害を受けていることや、墳丘が前方後方墳であることが明らかになった。古墳の規模は全長98m、後方部長52m、前方部長46m、後方部幅50m、くびれ部幅25m、高さは最大9m。主軸は東西方向で、前方部には2段以上の段築があり、葺石(ふきいし)は基底部付近でわずかに検出された。副葬品は、主室から三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)7面を含む青銅鏡12面など、副室からは鉄鏃(てつぞく)56点、短剣を含む鉄剣26点以上が出土。出現期古墳の構造や葬送儀礼、さらにはその時代の社会を知るうえで重要であることから、2005年(平成17)に国の史跡指定された。現在では、市街地の中にある公園として整備され、市民の憩いの場として利用されている。阪神電鉄阪神本線西灘駅から徒歩約2分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

事典・日本の観光資源 「西求女塚古墳」の解説

西求女塚古墳

(兵庫県神戸市灘区)
灘百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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