西行物語(読み)さいぎょうものがたり

改訂新版 世界大百科事典 「西行物語」の意味・わかりやすい解説

西行物語 (さいぎょうものがたり)

西行の生涯を多数の歌をまじえて記した,鎌倉時代の物語。作者未詳。《西行一生涯草紙》《西行四季物語》《西行一代記》《西行記》とも称され,絵巻の形でも伝わる。鳥羽院の北面の武士藤原義清(のりきよ)は文武に秀でた青年であったが,25歳のとき友人の死を身近に見て無常の思いを強め,袂にすがる娘を縁側から蹴落として西山に走り,出家する。西行と名を変えた義清は伊勢に参拝し,二見浦に草庵を結んだのち,東国に向かう。小夜の中山,富士山など東海道の歌枕を歌によみながら武蔵国に至り,さらに陸奥へと足をのばした。平泉藤原秀衡のもとに滞在,のち都に帰り,ふたたび四国への旅を企て,讃岐白峰の崇徳院の墓に参り,弘法大師誕生の地善通寺に留まる。再度帰京した西行は,出家のおりに別れたままの娘の消息を耳にし,対面して仏門に入ることを勧め,すでに高野山のふもと天野(あまの)で尼になっていた母のもとへとやる。一所不住の回国修行と和歌とに50年を捧げた西行は,晩年東山双林寺のかたわらに庵を結び,〈願はくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ〉の歌を詠み,建久9年(1198)2月15日に往生の素懐をとげたという。没年をはじめ,伝記は必ずしも史実どおりではなく,伝説・説話的な色彩が強いが,〈道心〉と歌道への〈すき〉に生きた西行の姿を描いて,《問はず語り》の著者や芭蕉など,後世の西行理解に大きな影響を与えた。
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西行の生涯の事蹟,逸話を描いた絵巻。もと3~4巻と思われるが,2巻のみ不完全な形で現存。13世紀の作。物語は〈漂泊歌人〉としての西行像を強調しており,絵も吉野,熊野など山野を行く西行の姿を描くときに情感がこもる。別に室町時代の作品がある。原本は失われたが,宗達,光琳など著名な画家の模本があることで知られる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の西行物語の言及

【西行】より

…旅の歌僧,遁世聖,西行に関する説話は《古今著聞集》《古事談》《沙石集》《源平盛衰記》などに記されておびただしい数にのぼり,《吾妻鏡》などにも採録されたが,とくに《撰集抄》は,鎌倉時代の各地の説話を旅する西行の見聞としてまとめたもので,西行の伝説化に大きな役割を果たした。他方西行の伝記を書いた《西行物語》《西行物語絵巻》も,中世の人々の間で,無常である現世を捨てて,孤独な旅の生活のなか花や月にあこがれる数寄の心を和歌に託すという,人間の生き方の理想をあらわすものとして読まれ,さまざまな西行伝説の原形となった。西行の伝説は,発心出家の動機と決断をめぐるもの,山居のきびしい修行にたえる行者の姿を語るもの,文覚や西住などとの交遊,崇徳院の供養に関するもの,頼朝にもらった銀の猫を門外に遊ぶ子供に与えたというような無欲潔癖な性格を伝えるもの,院の女房や江口の遊女と歌を読みかわしたというような数寄の心の持主として伝えるもの,など多方面にわたっている。…

※「西行物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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