解脱寺(読み)げだつじ

日本歴史地名大系 「解脱寺」の解説

解脱寺
げだつじ

京都市左京区岩倉いわくら長谷ながたに東方の山麓小松原こまつばらの地にあったと伝える寺。閼伽井あかいと称する井水が残り、傍らに慶応三年(一八六七)華王院権僧正暹煦建立の碑が立つ。しかし「山城名勝志」には「長谷聖護院山庄西側ヨリ長谷川ニ傍テ北ニ行事五町許ニ平地アリ、是旧跡也」とあり、長谷川に沿って瓢箪崩ひようたんくずれ山へ至る御所谷ごしよだにの地とする。

藤原道長の姉東三条院藤原詮子が国家鎮護のため建立した寺である。創建年代は明らかでないが、「寺鎮帝城之北面、可潜衛於皇基之日、仍今其隙地、結此小堂、奉白檀阿弥陀仏像一躰、観音、勢至二菩薩像各一躰」とみえ(「扶桑略記」長保四年七月一七日条)、当初は白檀の阿弥陀仏および観音・勢至菩薩を安置する「小堂」であった。

解脱寺
げだつじ

[現在地名]日南町下阿毘縁

印賀いんが川左岸の山麓に建ち、本堂の東に清水井、北に滝跡がある。阿毘縁あびれ高祖さんとして信仰を集める。法要山と号し、日蓮宗本尊は日蓮直作と伝える日蓮像。「因府年表」によると、慶安三年(一六五〇)米子本教ほんきよう寺の住持日感が奇瑞を得て、日野郡「阿布縁」に創建されたという。創建以前の伝承として、南北朝期に京都本圀ほんこく(現京都市下京区)の日静が当地に流された縁者の日野中将に日蓮作の高祖像を贈り、これを本尊として持仏堂に安置した。中将帰京後、堂は廃れて本尊は紛失したが、あるとき笠木かさぎ七曲田ななめぐりだの泥中が光輝き、掘出された本尊は草堂に安置された。

解脱寺
げだつじ

[現在地名]北区西杉町一丁目

楞伽山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。明暦三年(一六五七)に、成瀬隼人正正虎が江戸牛込長円寺(「名古屋市史」は長国寺とする)の隠居竹天を招いて薬師堂と小庵を建立したのが始まりで(徇行記)、「寛文覚書」には「堂守 竹養」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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