議会、省庁・警察、大企業などの取材対象機関のなかに出入りの記者たちが設けたクラブ。クラブ室=記者室は相手機関が提供する。記者たちの多くはクラブ室に常駐して毎日これを利用、当該機関の取材にあたる。クラブは定例的な記者会見の慣行を確立し、情報によっては報道解禁日の協定なども行う。このような条件に恵まれたクラブ記者は取材上、クラブ非加盟の記者と比べて格段に有利である。
[桂 敬一]
こうした日本独自の記者クラブ制度は1890年(明治23)、帝国議会開設を機に「議会出入り記者団」(後に「同盟記者倶楽部(クラブ)」と名のる)が結成されたことに始まる。ばらばらでは権力に相手にしてもらえなかった記者たちが社や意見の立場を超えて団結し、制度的な取材の自由を獲得、創成期のクラブの基礎を築いたのである。彼らの多くは第二次世界大戦前まで、筆一本で生きる自由な言論人として活動してきた。所属クラブの盟約を盾にとり、社の束縛を排除さえした。ところが、統制団体・日本新聞会が設立され、太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)後の1942年(昭和17)、新聞統合(一県一紙政策)が強行されると、同会会員である新聞社・日本放送協会の社員記者だけが政府機関のクラブに所属できるとする、事実上の記者登録制度が実施され、クラブの性格は一変した。
[桂 敬一]
1945年、敗戦日本の民主化を企図したGHQ(連合国最高司令官総司令部)は記者クラブ制度の改革を新聞界に求めた。しかし、日本新聞協会(日本新聞会が改組)の加盟社と第二次世界大戦時のクラブ制度に慣れた日本の政府機関は、一致してこれに抵抗した。その理論的根拠は「記者クラブに関する新聞協会の方針」(1949)に述べられている。記者クラブは現場の「親睦(しんぼく)機関」であって仕事の組織ではない、とするのがその言い分であり、それによって改革の必要の度合いを薄め、GHQの要請をかわしてきた。だが、現実には強力な取材組織としてクラブは機能し続け、独立=GHQ権力の消失、日本経済の高度成長を経て、日本の政府権力と独占度を高めた大メディアの癒着が目に余るようになるのに伴い、外国報道機関や、週刊誌などのフリーの記者たちから、クラブ制度に批判が寄せられるようになっていった。最大の問題点は、日本中どこの記者クラブも、新聞協会会員社(NHKを含む)、民放連(日本民間放送連盟)会員社の社員記者だけしかメンバーになれないという、第二次世界大戦中とほとんど変わらない閉鎖的な会員制度が維持されてきたことである。
[桂 敬一]
1992年(平成4)、外国人記者の強い要請を受け入れ、霞(かすみ)クラブ(外務省記者クラブ)が彼らのオブザーバー加盟を認めて以後、新聞協会のクラブ開放方針への転換(1993)、京都市の記者室への公金支出に対する市民提訴(1994)、鎌倉市の記者室提供打切り(1996)などを経て、長野県知事田中康夫の「脱・記者クラブ」宣言(2001)に至るまで、記者クラブは変化の波に洗われ続けてきた。新聞協会は1997年、クラブを「親睦機関」から一転「取材拠点」とみなす見解を打ち出し、2002年にはさらに、「クラブ=記者の自主組織」と「記者室=公的施設」とを分離、クラブの会員資格基準は新聞協会・民放連加盟社社員に限ってはならず、各クラブが自主的に決めるべきであり、記者室はすべての取材者が利用できるように図るべきだ、とする新見解を発表し、解決を現場に委ねた。だが、クラブ記者たちの自発的な記者室・記者会見開放の動きは、はかばかしくなかった。
2009年8月の総選挙で、自民党から民主党に政権交代がなされると、新政権は記者会見の開放を約束した。クラブ開放を求める人たちの最大の理由は、取材機会の公平さであり、首相官邸、外務省、金融庁が率先してフリージャーナリストの大臣会見参加を受け入れたことで、記者クラブ問題が大きく変化する機運が生じた。
さらに2011年1月、片山総務相会見の際、フリー記者が記者クラブに断らず動画機材をもち込み、インターネット上での生中継を敢行するなど、インターネットの普及と利用の拡大が、記者クラブの取材源独占を大きく揺るがしている点も見逃せない。これら変化の行く手に、新しい記者クラブの姿や、ジャーナリストの職能集団としての姿も浮かび上がるであろう。
[桂 敬一]
『新聞取材研究会編『新聞の取材』上下(1968・日本新聞協会)』▽『東京弁護士会編『取材される側の権利』(1990・日本評論社)』▽『西山武典著『「ザ・リーク」新聞報道のウラオモテ』(1992・講談社)』▽『原寿雄著『ジャーナリズムは変わる――新聞・テレビ 市民革命の展望』(1994・晩聲社)』▽『新聞労連編『新聞記者を考える』(1994・晩聲社)』▽『新聞労連新聞研究部編『提言 記者クラブ改革』(1994・日本新聞労働組合連合)』▽『新聞報道研究会編著『いま新聞を考える』(1995・日本新聞協会研究所)』▽『現代ジャーナリズム研究会編『記者クラブ――市民とともに歩む記者クラブを目指して!』(1996・柏書房)』▽『柴山哲也著『日本型メディア・システムの崩壊――21世紀ジャーナリズムの進化論』(1997・柏書房)』▽『日本新聞協会編・刊『取材と報道 2002』(2002)』▽『花田達朗・廣井脩編『論争 いま、ジャーナリスト教育』(2003・東京大学出版会)』▽『ローリー・アン・フリーマン著、橋場義之訳『記者クラブ――情報カルテル』(2011・緑風出版)』▽『岩瀬達哉著『新聞が面白くない理由』(講談社文庫)』▽『原寿雄著『ジャーナリズムの可能性』(岩波新書)』▽『上杉隆著『記者クラブ崩壊――新聞・テレビとの200日戦争』(小学館101新書)』
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取材を目的とした新聞記者・放送記者たちの組織。通常,重要なニュース・ソースである官公庁,各種団体などに部屋,設備などの提供を受けて常設され,取材拠点,本社との連絡拠点としているが,映画記者会,音楽記者会などのように特定の記者室をもたない記者クラブもある。日本では,1890年(明治23)第1回帝国議会の開会にあたり,その取材許可を要求して全国の新聞社が結成した〈共同新聞記者俱楽部(クラブ)〉が最初とされる。日清戦争後各官庁につぎつぎと記者クラブが設けられた。これに対して,アメリカのワシントンにあるナショナル・プレス・クラブは,全国から首都に取材に出てきた地方紙記者たちの足だまり兼親睦機関として1908年設立されたように,外国では親睦機関としての性格が強く,日本でもこれに近いものに日本外国特派員協会(1945創立)や日本記者クラブ(1969創立)がある。取材拠点としての記者クラブは,多く日本新聞協会加盟社に入会資格を限定していて排他的であること,ニュース・ソースと癒着の危険があること,などが批判されるようになってきている。
執筆者:新井 直之
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(浜田純一 東京大学教授 / 2007年)
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…〈待ち〉の報道にとって必要なのは,いつ,どこで〈非日常〉的なできごとが起きても,直ちにそれをキャッチできるような周到な準備,人員配置である。記者クラブは,まさにこのために必要なものとして生まれた。したがって現在,記者クラブの弊害がしばしば指摘されるものの,新聞の報道が〈待ち〉〈受身〉の姿勢を維持し続けるかぎり,記者クラブの性格を変えたり,あるいは記者クラブ制度そのものを全廃することは不可能となっている。…
※「記者クラブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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