中国、宋(そう)・元(げん)時代の講談の台本。中国の都市は宋代に、商工業の発達とともに繁栄し、市民生活にも余裕が生まれ、民間演芸が大いに発展した。北宋の首都の汴京(べんけい)や南宋の首都の臨安などの盛り場では、多くの演芸小屋ができ、演劇、影絵芝居などとともに「説話」とよばれる講談が流行した。そして初め、講釈師(説話人)たちの便宜のためのメモとして書き留められたその台本が、のちに下級文人の加筆を経て、読み物として人々に喜ばれるようになった。明(みん)代に入ると、その形式を踏みつつ、初めから読むことを目的に創作されるようになり、それがやがて商業出版の対象となり、今日でいう小説に近いものが生まれた。話本とはそれらの総称であるが、明代以降の創作を擬話本とよんで区別することもある。『京本(けいほん)通俗小説』『清平山堂話本』など、比較的早く編集された話本集に収められる諸編は初期の形態をとどめ、講釈師の語りぶりを伝えるものが多く、『三言』『二拍』とだんだん擬話本の比率が増えている。そして『水滸伝(すいこでん)』『三国志演義』などの口語長編小説は、同一題材の一連の話本を首尾一貫させ、加筆発展させて生まれたものである。
[今西凱夫]
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…各巻が小説1編であるが,重複1編と《二刻拍案驚奇》第40巻が実は戯曲であるのを除き,全部で198編の小説を収める。内容は,宋・元代に行われた講釈師の講談を筆録したもの,すなわち〈話本〉,および明代に話本の形式になぞらえて作られたいわゆる〈擬話本〉から成り,中には編者自身の創作もあるらしい。〈擬話本〉は〈三言〉よりは,のちに出た〈二拍〉の方に多い。…
… 次の宋代では,都市の急速な発達にともなって,〈瓦市〉と呼ばれる盛り場での常設の演芸場で各種の講釈が上演された。そのうちの〈小説〉語りの記録は〈話本〉とか〈評話〉と呼ばれて明代に伝えられ,口語体の短編小説の母胎となった。一方,長編小説は宋代に口演された《三国志》や《水滸伝》が,それぞれ章を立てて首尾一貫した構成をもつ読み物として刊行されたが(《三国演義》),また16世紀には《金瓶梅》というある1人の作家による長編の創作が生まれ,従来の口誦説話を基盤とした小説からはじめて脱皮した。…
… すでに唐代では,寺院などにおける宗教的説法から発展し通俗化した〈俗講〉または〈変文〉が行われていたが,宋代になると,商業経済の急速な発達と新しい市民階層の台頭によって,北宋の首都開封や,南宋の首都杭州のような大都会が繁栄し,盛場(瓦子)の芝居小屋(勾欄)では,簡単な劇や講談,軽業などのさまざまな演芸が演じられた。その中で,もっぱら話芸に属するものを説話,その芸人を〈説話人〉,またその筆録を〈話本〉といった。その具体的内容や芸人の名前は,開封のようすを書いた《東京夢華録》,杭州に関する記録である《都城紀勝》《西湖老人繁勝録》《夢粱録》《武林旧事》の諸書にみえ,とくに《都城紀勝》と《夢粱録》では,説話を4家に分類している。…
… 宋代に入ると,印刷術の発明と商業の発達にともない,読書人の層がふくらんでいった。仏家の〈語録〉のあとをうけて儒家の〈語録〉がつくられ,〈変文〉のあとをうけて〈話本〉(講談の台本)ができるなど,口語で書かれた作品が,目だってふえてくる。唐代の〈詩〉にかわって〈詞〉が宋代の韻文形式となるが,時代がくだるにしたがって口語的な表現がふえてくる。…
※「話本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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