デジタル大辞泉 「調伊企儺」の意味・読み・例文・類語 つき‐の‐いきな【調伊企儺】 [?~562]古代の武将。百済からの渡来人の子孫。欽明天皇の時、新羅しらぎとの戦いで捕らえられ、新羅王をののしって殺されたという。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「調伊企儺」の意味・読み・例文・類語 つき‐の‐いきな【調伊企儺】 上古の武将。姓(かばね)は吉士(きし)。百済(くだら)からの渡来人の子孫。欽明天皇二三年(五六二)、副将として新羅征伐に向かい、捕えられたが降伏せず、殺された。調吉士伊企儺。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「調伊企儺」の意味・わかりやすい解説 調伊企儺つきのいきな(?―562) 6世紀中葉の武将。姓(かばね)は吉士(きし)で調吉士(きし)伊企儺と称す。562年(欽明天皇23)の新羅(しらぎ)侵攻に従軍。『日本書紀』によると、性格勇猛な伊企儺は新羅の降服勧告に服せず、とらわれの身となり、褌(はかま)を脱がされて辱めを受けるが、屈することなく逆に新羅王を侮蔑(ぶべつ)したことばを叫び続け、そのために拷問されてついに殺された。その子舅子(おじこ)も父の遺体を抱きかかえて死んだという。この説話は後世の述作とみられる。[菊地照夫] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「調伊企儺」の意味・わかりやすい解説 調伊企儺つきのいきな [生]?[没]欽明23(562).7. 朝鮮古代,新羅征討軍の武将。『日本書紀』によれば,欽明 23 (562) 年任那日本府再興のために,大将軍紀男麻呂らに率いられた新羅征討軍に従った。新羅軍の謀略にかかって妻大葉子 (おおばこ) とともに捕えられた。新羅の将が「日本の将わが尻をくらえ」と言わせようとしたが,「新羅王わが尻をくらえ」と叫び殺されたという。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「調伊企儺」の解説 調伊企儺 つきの-いきな ?-562 6世紀中ごろの武人。大葉子(おおばこ)の夫。欽明(きんめい)天皇23年紀男麻呂(きの-おまろ)の軍にしたがい新羅(しらぎ)(朝鮮)を攻めたが,敗れて捕らえられる。降伏をすすめられるが,反抗して殺された。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by