談洲楼燕枝(読み)ダンシュウロウ エンシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「談洲楼燕枝」の解説

談洲楼 燕枝(初代)
ダンシュウロウ エンシ


職業
落語家

本名
長島 伝次郎

別名
幼名=伝之助,前名=春風亭 伝枝,柳亭 燕枝(初代)(リュウテイ エンシ),筆名=あら垣 痴文,自慢額成

生年月日
天保9年 10月16日

出生地
江戸・小石川伝通院表町(東京都 文京区)

経歴
安政3年初代春風亭柳枝門下となり、春風亭伝枝と名乗る。文久元年柳亭燕枝と改名して真打ちとなる。明治18年3月、両国中村楼で“談洲楼”の嗣号披露を盛大に行う。落語睦連(むつみれん)頭取や演芸矯風会協議員をつとめるなど円朝とともに明治の落語界をリードした。得意ネタは「おせつ徳三郎」「子別れ」、自作物「天保奇談孝行車」、翻案物「侠客小金井桜」、外国種「仏国三個男」など幅広い。また、あら垣痴文などの筆名で噺本や新聞・雑誌の連載を書き、著書「燕枝日記」は明治初期の落語界を知る重要な資料となっている。

没年月日
明治33年 2月11日 (1900年)

伝記
森銑三著作集〈続編 第6巻〉 人物篇〈6〉落語名人伝 森 銑三 著関山 和夫 著(発行元 中央公論社白水社 ’93’92発行)


談洲楼 燕枝(2代目)
ダンシュウロウ エンシ


職業
落語家

本名
町田 銀次郎

別名
前名=柳家 小山三,柳家 小三治(2代目),柳亭 小燕枝,柳亭 燕枝(2代目)(リュウテイ エンシ)

生年月日
明治2年 2月25日

経歴
快楽亭ブラック一座に入り快楽を名乗る。のち2代目禽語楼小さん門下となる。柳家小山三、2代目小三治、柳亭小燕枝を経て、明治34年2代目柳亭燕枝を襲名。45年2月柳亭を談洲楼に改めた。

没年月日
昭和10年 7月6日 (1935年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「談洲楼燕枝」の意味・わかりやすい解説

談洲楼燕枝 (だんしゅうろうえんし)

落語家。(1)初代(1838-1900・天保9-明治33) 本名長島伝次郎。江戸小石川の酒商長島清助の子として生まれ,少年時代から俳諧や落語を愛好したあげくに勘当され,初代春風亭柳枝入門した。春風亭伝枝から初代柳亭燕枝となって真打に昇進した。1881,82年(明治14,15)ごろから三遊派の一枚看板三遊亭円朝に対して,柳派の一枚看板として並び称された。人情噺芝居噺の名人で,歌舞伎役者の9世市川団十郎を崇拝して談洲楼と号した。晩年は,森田思軒,幸田露伴饗庭篁村(あえばこうそん)らの根岸派文士と親交を結び,芸に深みを加えた。(2)2代(1869-1935・明治2-昭和10) 本名町田銀次郎。3代柳家小さん門下。小山三(こさんざ),小三治,小燕枝から2代襲名。人情噺の名手で,晩年に談洲楼と号したが,1934年(昭和9)3月に引退した。(3)3代 生没年未詳。2代門下。燕之助,小燕枝から5代都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)になり,のちに3代燕枝を襲名したが,芸も素行も悪くて寄席から姿を消した。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「談洲楼燕枝」の解説

談洲楼 燕枝(2代目)
ダンシュウロウ エンシ

明治〜昭和期の落語家



生年
明治2年2月25日(1869年)

没年
昭和10(1935)年7月6日

本名
町田 銀次郎

別名
前名=柳家 小山三,柳家 小三治(2代目),柳亭 小燕枝,柳亭 燕枝(2代目)(リュウテイ エンシ)

経歴
快楽亭ブラック一座に入り快楽を名のる。のち2代目禽語楼小さん門下となる。柳家小山三、2代目小三治、柳亭小燕枝を経て、明治34年2代目柳亭燕枝を襲名。45年2月柳亭を談洲楼に改めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「談洲楼燕枝」の解説

談洲楼燕枝(初代)

没年:明治33.2.11(1900)
生年:天保9.10.16(1838.12.2)
幕末明治期の落語家。亭号は「だんしゅう」とも。本名長島伝次郎。江戸小石川伝通院表町生まれ。19歳で初代春風亭柳枝に入門して伝枝を名乗る。24歳で柳亭燕枝と改め,真打。明治18(1885)年,親交のあった9代目市川団十郎の名をもじって談洲楼を亭号とした。創作力があり「嶋鵆沖津白浪」などを創り,狂歌発句にも才を発揮した。好劇家としても知られるように,当初芝居咄を演じていたが,明治2,3(1869,70)年と続けて歌舞伎にまぎらわしい所作禁止の布令が発せられたが,その前後から素咄に転じた。三遊派の三遊亭円朝に対して,柳派の頭取として,落語界を二分する存在であった。浅草の源空寺に葬られた。<参考文献>柳亭燕路「談洲楼初代柳亭燕枝」(『民族芸能』119号より連載178回)

(延広真治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「談洲楼燕枝」の意味・わかりやすい解説

談洲楼燕枝(1世)
だんしゅうろうえんし[いっせい]

[生]天保9(1838).10.16. 江戸
[没]1900.2.11. 東京
落語家。本名長島伝次郎。江戸小石川の酒屋の生れ。1世春風亭柳枝門下。通称「二葉町の師匠」。9世市川団十郎を崇敬して,1885年柳亭を談洲楼に改姓。人情噺,芝居噺をよくし,三遊亭円朝と並び称された。武士や侠客の描写にすぐれ,渋い品のある芸風で知られた。また仮名垣魯文に師事し痴文を名のり,『島千鳥沖津白浪』『西海屋騒動』『御所車花五郎』などの創作がある。

談洲楼燕枝(2世)
だんしゅうろうえんし[にせい]

[生]明治2(1869).2.25. 東京
[没]1935.7.6. 東京
落語家。本名町田銀次郎。東京・芝仲門前の法衣屋嶋屋久兵衛の子。禽語楼小さん門で2世柳亭燕枝から 1912年談洲楼の亭号に改めた。1世の創作落語を継承するとともに,人情噺を得意とした。

談洲楼燕枝(3世)
だんしゅうろうえんし[さんせい]

[生]1894.12.3.
[没]1955.7.19. 東京
落語家。本名進藤勝利。8世船遊亭扇橋の実子。大名跡を継ぐも不遇であった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「談洲楼燕枝」の解説

談洲楼燕枝(初代) だんしゅうろう-えんし

1838-1900 幕末-明治時代の落語家。
天保(てんぽう)9年10月16日生まれ。初代春風亭柳枝に入門し,文久元年柳亭燕枝の名で真打となる。明治18年9代市川団十郎との親交から談洲楼と号した。柳派の重鎮で,三遊亭円朝と人気をわけた。明治33年2月11日死去。63歳。江戸出身。本名は長島伝次郎。初名は伝枝。

談洲楼燕枝(2代) だんしゅうろう-えんし

1869-1935 明治-昭和時代前期の落語家。
明治2年2月25日生まれ。快楽亭ブラック一座から2代禽語楼(きんごろう)小さん,ついで柳亭燕枝に入門。3代小燕枝をへて明治34年2代柳亭燕枝をつぎ,45年談洲楼を名のる。昭和10年7月6日死去。67歳。東京出身。本名は町田銀次郎。前名は柳家小三治(2代)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「談洲楼燕枝」の意味・わかりやすい解説

談洲楼燕枝
だんしゅうろうえんし

柳亭燕枝

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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