日記は古代律令(りつりょう)制の成立発展とかかわり、まず朝廷の公的記録であった。日次(ひなみ)を追って記されることを原則とし、ときに特定の行事や事件に関する記録をさしていう。故事典例を重んずる中古に至って著しく発達し、さらに律令官人の立場で個人的に記す日記も数多く生まれた。それらは漢文もしくは変体漢文で書かれ、文学的ではない。私的な記録としては、ほかに大陸に渡った僧の体験見聞の日記があり、円仁(えんにん)の『入唐求法(にっとうぐほう)巡礼行記』はその代表的作品で、同じ漢文でも、そのなかに文化史的意義の深い、もしくは人間的感動に満ちた記事をままみることができる。広義の日記文学とは、日記がこのように内省的・感動的な内容をもつときにいうのであって、古代から近代に至るそれぞれの時代性を帯び、またその記述の分野に応じつつ、つねになんらかの意味での人生記録なのである。
ところで、『土佐日記』を創始とし、中古に独特な文学のジャンルとして発達を遂げた日記文学の一群がある。それらは現実の体験、記録的事実に依拠するものの、その制約のなかに成り立つのではなく、それらの事実の奥に内在する究極の人生を、作品のなかに初めて具象的に描き出した、独自な創造的世界として存立する。それは、観念的・規範的な漢文表現から離れた仮名散文による主体的な文体の創出と不可分の関係において生まれた。この一群の作品は日次記ではない。すなわち、作品創造の過程が、一方で現実に対応しながら、同時に作品自体の統括性に基づくのである。『土佐日記』のあと、筆は女性の手に移って、いっそう内面性が磨(と)ぎ澄まされ、『蜻蛉(かげろう)日記』『和泉(いずみ)式部日記』『紫式部日記』『更級(さらしな)日記』『讃岐典侍(さぬきのすけ)日記』などが書かれた。また和歌、とくに私家集との関連も深く、たとえば『成尋阿闍梨母集(じょうじんあざりのははのしゅう)』『建礼門院右京大夫(うきょうのだいぶ)集』など、きわめて日記文学的である。こうした日記文学の各作品が、古代文学史のなかで著しく個性的であることにも注目される。
中世にもこの王朝日記文学の系譜は受け継がれるが、その文学的に特有な世界を造型する積極的な意義はしだいに喪失されていく。ただそのなかで『問はず語り』が、愛欲生活から仏道懺悔(さんげ)に至る作者二条の生涯を告白していて、貴重である。そのほかに『竹むきが記』など。また『海道記』『東関紀行』『十六夜(いざよい)日記』など紀行が多くなり、宗祇(そうぎ)らを経て、芭蕉(ばしょう)の俳文紀行に及ぶ。体験見聞記としての日記は、中世から近世へますます多様になり、日記文学の特質はおのずからこの広義のなかに解消していく。そして近代は、永井荷風(かふう)の『断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)』等々、自我の覚醒(かくせい)による日記の特性が発揮される。
[木村正中]
ローマ時代の備忘録、覚書、または日々の事件の記録であるコメンタリイcommentariiに始まり、多くは役所の日誌に近かったが、カエサルの『ガリア戦記』(前51ころ)は、雄渾(ゆうこん)な文体によってぬきんでた。しかし、真に文学的な日記となると17世紀以降のもので、ルネサンスにより近代的自我と批評精神が芽生え、宗教改革によって魂との葛藤(かっとう)が強まり、さらに、急速な近代化と政治的・社会的混乱に対する苦悩などが重なって、多くの日記が書かれるようになった。
日記には、自己だけの秘密な覚書、公開を意図して潤色したもの、また、社会の動きを刻々ととらえたもの、魂の苦悩の軌跡をたどったものなど多岐にわたるが、要は、歴史に記されない赤裸々な事実と、長期間にわたる記録の連続性に大きな価値がある。つまり、歴史がしばしば為政者の功罪を中心に記されるのに対して、日記には作家や庶民の生きた記録がみられ、したがって、その時代の社会を知るための得がたい資料となる。
著名な日記としては、イギリスのイーブリン(1641~1706まで)、ピープス(1660~1669まで)、バーニー夫人(1784~1840まで)のものがある。なかでもピープスは暗号を用いて記したため19世紀になってようやく解読されたが、ロンドンに関する記述が詳しく、バーニーは宮廷の秘話などに言及している。また、18世紀のイギリスの博物学者G・ホワイトは自然を描写し、19世紀にはフランスの作家スタンダール、ゴンクール兄弟、ベルナールら、ドイツの劇作家ヘッベルらが日記を残して作品理解の鍵(かぎ)を残している。また、スイスの哲学者アミエルの日記は、懐疑主義の時代に苦悶(くもん)する魂の記録として貴重である。20世紀にはフランスの作家ジッドやイギリスの作家ウルフのものがあるほか、ユダヤ少女の『アンネの日記』が戦争の悲惨さを描いて大きな反響をよんだ。
[船戸英夫]
『玉井幸助著『日記文学の研究』(1965・塙書房)』▽『ドナルド・キーン著、金関寿夫訳『百代の過客――日記にみる日本人』上下(1984・朝日新聞社)』
日記文学は世界文学のなかでも日本独自の文学ジャンルといってよい。《土佐日記》からはじまり,王朝女流日記を頻出させ,松尾芭蕉,小林一茶らを経て,正岡子規の《仰臥漫録(ぎようがまんろく)》等に至るこのジャンルは,近代に入って純粋な意味でのジャンル性を保たなくなるものの,夏目漱石,森鷗外,樋口一葉,石川啄木,永井荷風さらには高見順等々の作家によるおびただしい作品を生み出している。さらに近代文学における〈私小説〉も射程距離内に含めるならば,日記文学は日本文学独自の一大潮流だといえよう。しかし,そうした広大な俯瞰のうえで,さらに厳密化すると,日記文学という〈文学性〉が認められるのは,古代後期と中世に現れる女流文学者による仮名日記に限定することができる。
自照文学とか私小説(イッヒロマン)などともいわれるこれらの日記文学は,仮名で書かれた〈回想の文学〉という共通の要素があり,それが単なる備忘録的な日記を超克していくのである。回想の文学は〈体験〉と〈回想〉と〈書くこと〉という三つの時間が錯綜するところに特色があり,あくまでも体験に依拠したとしても,回想の中でそれは変奏され,書くことを通じて昇華されることになる。たとえば,935年(承平5)ごろ成ったとされる日記文学の嚆矢(こうし),紀貫之の《土佐日記》は〈男もすなる日記といふものを,女もしてみんとてするなり〉と書きはじめられ,侍女らしき女性に仮託して書かれているのだが,亡娘に言及するにしたがって作者自身の感慨が露呈されてくるように,日記文学はその錯綜性に〈文学〉が宿されている。続く藤原道綱母の21年に及ぶ自伝的回想である《蜻蛉(かげろう)日記》(10世紀後半)も同様で,あくまでも自己体験を叙述したにもかかわらず,冒頭の跋文で〈さてもありぬべきことなん,多かりける〉と漏らしてしまうのであって,〈回想〉や〈書くこと〉が〈体験〉を錯綜させ,虚構化していく様相が示唆されているといえよう。この藤原兼家との夫婦生活の不安や破綻の苦悶を描いた作品に続いて,敦道親王との情緒的な恋愛を贈答歌を軸に描いた《和泉式部日記》,宮廷生活の中で鋭敏に自己を凝視する《紫式部日記》,物語に魅惑された少女が夢多き成長を遂げつつ,宗教性にめざめるに至る40年間を自叙した菅原孝標女の《更級日記》がそうした日記文学の代表作品としてあるが,この後に現れる作品は日記文学が抱えていた〈回想〉の緊張性が弛緩(しかん)してしまう傾向がみられる。院政期の,母性愛を描いた《成尋阿闍梨母集(じようじんあじやりははのしゆう)》や堀河天皇の死を軸に描いた《讃岐典侍(さぬきのすけ)日記》がそれだが,《建礼門院右京大夫集》《十六夜日記》《弁内侍日記》《中務内侍日記》など,鎌倉時代に至ってもこの女流日記の伝統は続き,とくに後深草院二条の《問はず語り》は注目される作品である。なお,鎌倉期には《飛鳥井雅有日記》や《家長日記》のように男性による仮名日記も書かれている。
執筆者:三谷 邦明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…人間内奥の消息や人間性への省察などは,別に詩や文または書簡で開陳された。いわゆる日記文学の中国における未成熟も同様な事情による。ただ明代末期に流行した〈小品文〉(随想類の短い文章)のなかには,まさにエッセーと呼ぶにふさわしい上質の文章が独自な文体で定着しており,中国文学史に新しいページを拓いている。…
※「日記文学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新