赤穂浪士一覧(読み)あこうろうしいちらん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

赤穂浪士一覧
あこうろうしいちらん

 ●細川越中守綱利(肥後熊本城主)預け
大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)
 45歳。家老、1500石。長子主税(ちから)とともに参加。変名、池田久右衛門、垣見五郎兵衛。法名、忠誠院刃空浄剣居士(こじ)。〈大石良雄〉
吉田忠左衛門兼亮(よしだちゅうざえもんかねすけ)
 64歳。足軽頭で郡奉行(こおりぶぎょう)を兼ね、200石。吉良義央(きらよしなか)殺害ののち、富森助右衛門とともに大目付仙石伯耆守(せんごくほうきのかみ)久尚方に立ち寄り、事の次第を届け出た。その子、沢右衛門も参加。変名、田口一真、篠崎太郎兵衛。法名、刃仲光剣信士。
原惣右衛門元辰(はらそうえもんもととき)
 56歳。足軽頭、300石。実弟の岡嶋八十右衛門(おかじまやそえもん)も参加。変名、和田元真、前田善蔵。法名、刃峰毛剣信士。
片岡源五右衛門高房(かたおかげんごえもんたかふさ)
 37歳。内証用人、児小姓頭、350石。変名、吉岡勝兵衛。法名、刃勘要剣信士。
間瀬久太夫正明(ませきゅうだゆうまさあき)
 63歳。大目付、200石。長子孫九郎とともに参加。変名、三橋浄貞。法名、刃誉道剣信士。
小野寺十内秀和(おのでらじゅうないひでかず)
 61歳。京都留守居、150石、役料70石。儒者伊藤仁斎の門人。養子の幸右衛門とともに参加。変名、仙北十庵。法名、刃以串剣信士。
間喜兵衛光延(はざまきへえみつのぶ)
 69歳。勝手方吟味役、100石。長子重治郎、次子新六とともに参加。変名、杣荘喜斎。法名、刃泉如剣信士。
磯貝十郎左衛門正久(いそがいじゅうろうざえもんまさひさ)
 25歳。物頭、側(そば)用人、150石。変名、内藤十郎左衛門。法名、刃周求剣信士。
堀部弥兵衛金丸(ほりべやへえかなまる)
 77歳。江戸留守居を務め300石を得ていたが、事件当時すでに致仕していた。安兵衛は養子。変名、馬淵市郎右衛門。法名、刃毛知剣信士。
近松勘六行重(ちかまつかんろくゆきしげ)
 34歳。馬廻(うままわり)、250石。変名、森清助、田口三介。法名、刃随露剣信士。
富森助右衛門正因(とみのもりすけえもんまさより)
 34歳。馬廻、使番を兼ね、200石。変名、山本長左衛門。法名、刃勇相剣信士。
潮田又之丞高教(うしおだまたのじょうたかのり)
 35歳。馬廻で国絵図奉行を兼ね、200石。変名、原田斧右衛門。法名、刃窓空剣信士。
早水藤左衛門満堯(はやみとうざえもんみつたか)
 40歳。馬廻、150石。備前(びぜん)の郷士の子で、早水四郎兵衛の養子となる。変名、曽我(そが)金助。法名、刃破了剣信士。
赤埴源蔵重賢(あかばねげんぞうしげかた)
 35歳。馬廻、200石。変名、高畠源五右衛門。法名、刃広忠剣信士。
奥田孫太夫重盛(おくだまごだゆうしげもり)
 57歳。馬廻、武具奉行(江戸詰)、150石。志摩鳥羽(とば)の内藤忠勝に仕えていたが、忠勝の姉が浅野長友〔長矩(ながのり)の父〕に嫁したとき、付人として赤穂にきて、そのままとどまった。養子貞右衛門(さだえもん)とともに参加。堀部安兵衛と行動をともにした。変名、西村清右衛門。法名、刃察周剣信士。
矢田五郎右衛門助武(やだごろうえもんすけたけ)
 29歳。馬廻、150石。変名、塙武助。法名、刃法参剣信士。
大石瀬左衛門信清(おおいしせざえもんのぶきよ)
 27歳。馬廻、150石。変名、小田権六。法名、刃寛徳剣信士。
 ●松平隠岐守定直(伊予松山城主)預け
大石主税良金(おおいしちからよしかね)
 16歳。良雄の長子。変名、垣見左内。法名、刃上樹剣信士。
堀部安兵衛武庸(ほりべやすべえたけつね)
 34歳。馬廻、200石。実父中山弥次右衛門は越後新発田(えちごしばた)の溝口家に仕えていたが浪人。その死後、武庸は江戸に出、堀部弥兵衛の養子となった。1701年(元禄14)4月奥田孫太夫、高田郡兵衛(のちに脱落)とともに赤穂に帰って籠城(ろうじょう)を唱えて大石に説伏されたが、その後も吉良邸討入りの急進的意見を主唱。また、大石らとの往復書簡を編集して残した『堀部武庸筆記』は、浪士らの考え方や事件の経緯を正確に示す、この事件のもっとも重要な史料の一つである。変名、長江長左衛門。法名、刃雲輝剣信士。
中村勘助正辰(なかむらかんすけまさとき)
 48歳。馬廻で書物役を兼ね、100石。陸奥(むつ)白河松平家の家臣三田村小太夫の子で、中村庄助の養子となった。変名、山彦嘉兵衛。法名、刃露白剣信士。
菅谷半之丞政利(すがやはんのじょうまさとし)
 44歳。馬廻で郡奉行を兼ね、100石。変名、政右衛門(町人)。法名、刃水流剣信士。
不破数右衛門正種(ふわかずえもんまさたね)
 34歳。もと浅野家家臣岡野治太夫(のち佐倉新助)の子で、不破家の養子となり、事件当時は浪人であったが、とくに参加。もと馬廻で浜辺奉行を兼ね、100石。変名、松井仁太夫または八左衛門(町人)。法名、刃観祖剣信士。
木村岡右衛門貞行(きむらおかえもんさだゆき)
 46歳。馬廻、絵図奉行、150石。変名、石田左膳または八右衛門(町人)。法名、刃通普剣信士。
千馬三郎兵衛光忠(ちばさぶろべえみつただ)
 51歳。馬廻、100石であったが事件当時は30石。変名、原三助。法名、刃道互剣信士。
岡野金右衛門包秀(おかのきんえもんかねひで)
 24歳。事件当時は父、金右衛門包住(小野寺十内の実弟)が物頭並に在職中で、200石。包秀は部屋住であったが、のちに父は死去し、その後を継ぐ。変名、岡野九十郎。法名、刃回逸剣信士。
貝賀弥左衛門友信(かいがやざえもんとものぶ)
 54歳。中小姓、蔵奉行、10両2石3人扶持(ぶち)。吉田忠左衛門の実弟。変名、喜十郎(町人)。法名、刃電石剣信士。
大高源五忠雄(おおたかげんごただお)
 32歳。膳番元方、腰物方、金奉行を務め、20石5人扶持。父、兵左衛門の代に新たに200石で浅野家に召し抱えられたが、源五が幼少のときに死んだので石高を減らされた。1702年(元禄15)9月、吉良を討つため江戸に下るにあたり、決別の意をこめて母(小野寺十内の姉)にあてた書簡は、浅野家臣が吉良を討つ目的と意義を余すところなく述べたもので、重要な史料である。変名、脇屋新兵衛。法名、刃無一剣信士。
 ●毛利甲斐守綱元(長門長府城主)預け
岡嶋八十右衛門常樹(おかじまやそえもんつねき)
 38歳。原惣右衛門の実弟。中小姓、札座勘定方を兼ね、20石5人扶持。変名、郡武八郎。法名、刃袖払剣信士。
吉田沢右衛門兼貞(よしださわえもんかねさだ)
 29歳。吉田忠左衛門の長子で部屋住であったが、蔵奉行、13両3人扶持ともいわれる。変名、田口左平太または佐助(町人)。法名、刃当掛剣信士。
武林唯七隆重(たけばやしただしちたかしげ)
 32歳。中小姓、15両3人扶持。変名、渡辺七郎右衛門。法名、刃性春剣信士。
倉橋伝助武幸(くらはしでんすけたけゆき)
 34歳。中小姓、扶持奉行、25人扶持。変名、十左衛門(町人)。法名、刃錬剣信士。
間新六光風(はざましんろくみつかぜ)
 23歳。間喜兵衛の次男で、事件当時は浪人して江戸にいたが、とくに父、兄とともに参加。変名、杣荘新六。法名、刃摸唯剣信士。
村松喜兵衛秀直(むらまつきへえひでなお)
 64歳。中小姓、扶持奉行(江戸詰)、25人扶持。長子、三太夫とともに参加。変名、村松隆円、荻野隆行。法名、刃有梅剣信士。
杉野十平次次房(すぎのじゅうへいじつぎふさ)
 28歳。札座横目、8両3人扶持。変名、杉野九一右衛門。法名、刃可仁剣信士。
勝田新左衛門武堯(かつたしんざえもんたけたか)
 24歳。札座横目、15石3人扶持。変名、嘉右衛門(町人)。法名、刃量霞剣信士。
前原伊助定房(まえばらいすけさだふさ)
 40歳。金奉行、10石3人扶持。変名、米屋五兵衛、古着屋権次郎(町人)。法名、刃補天剣信士。
小野寺幸右衛門秀富(おのでらこうえもんひでとみ)
 28歳。大高源五の実弟で伯父十内の養子。事件当時は部屋住。変名、仙北又助。法名、刃風颯剣信士。
 ●水野監物忠之(三河岡崎城主)預け
間重治郎光興(はざまじゅうじろうみつおき)
 26歳。喜兵衛の長子。部屋住。父、弟新六とともに参加。変名、杣荘十次郎。法名、刃沢蔵剣信士。
奥田貞右衛門行高(おくださだえもんゆきたか)
 26歳。部屋住。加東勘定方、9石3人扶持ともいう。近松勘六の実弟、奥田孫太夫の養子。養父、実兄とともに参加。変名、西村丹下。法名、刃湫跳剣信士。
矢頭右衛門七教兼(やとうえもしちのりかね)
 18歳。部屋住。父長助は20石5人扶持であったが、1702年(元禄15)8月に死去。変名、清水右衛門七。法名、刃擲振剣信士。
村松三太夫高直(むらまつさんだゆうたかなお)
 27歳。部屋住。喜兵衛長子。父とともに参加。変名、植松三太夫、荻野十左衛門。法名、刃清元剣信士。
間瀬孫九郎正辰(ませまごくろうまさとき)
 23歳。久太夫の長子、父とともに参加。変名、三橋小一郎。法名、刃太及剣信士。
茅野和助常成(かやのわすけつねなり)
 37歳。横目付、5両3人扶持、役料5石。もと美作(みまさか)津山の森家の家臣であったが、浪人ののち浅野家に仕えた。変名、助五郎(町人)、富田藤吾。法名、刃響機剣信士。
横川勘平宗利(よこかわかんぺいむねとし)
 37歳。徒(かち)目付、5両3人扶持。父は浪人で、勘平が新たに浅野家に仕えた。変名、三島小一郎。法名、刃常水剣信士。
三村次郎左衛門包常(みむらじろざえもんかねつね)
 37歳。酒奉行、台所役、7石2人扶持。変名、喜兵衛(町人)。法名、刃珊瑚剣信士。
神崎与五郎則休(かんざきよごろうのりやす)
 38歳。徒目付、5両3人扶持。もと美作津山の森家に仕えたが、主家断絶のため浪人、浅野家の家臣となった。変名、美作屋善兵衛、小豆屋善兵衛(町人)。法名、刃利教剣信士。
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寺坂吉右衛門信行(てらさかきちえもんさだゆき)
 吉田忠左衛門組の足軽。当時35歳。大石からの幕府への届けにはその名が記されているが、幕府の処分は受けていない。吉良邸襲撃ののちに立ち去ったとも、門前から逃亡したともいわれるが確認できない。死去のとき83歳であったという。

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