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起倒流 きとうりゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

起倒流
きとうりゅう

柔術の流派の一つ。徳川家光の頃 (1623~51) ,茨木専斎俊房を流祖として起り,起倒流鎧組討 (よろいくみうち) から起倒流柔術に,さらに起倒流柔道とも称された。門弟中,吉村兵助は起倒流の内容を充実させ,また滝野遊軒は享保 20 (1735) 年江戸浅草三筋町に道場を開き,広く普及に努めた。

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デジタル大辞泉の解説

きとう‐りゅう〔キタウリウ〕【起倒流】

柔術の一流派。寛永年間(1624~1644)茨木又左衛門俊房の創始。

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世界大百科事典 第2版の解説

きとうりゅう【起倒流】

柔術の一流派。江戸初期の寺田勘右衛門正重が流祖。流派の起りは徳川家綱の時代といわれており,正重は寺田平左衛門定安に師事して福野流柔術を学び,ついに一流を立てて起倒流と称した。その教義はもっぱら形(かた)を離れて気を扱うことに重点がおかれている。江戸時代,楊心流とともにもっとも隆盛し,全国に名をはせた。嘉納治五郎が起倒流を飯久保恒年に学び,その投げ技の卓抜さに感銘し,講道館柔道の投げ技の基礎とした。現在も起倒流の技を,講道館〈古式の形〉として残している。

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大辞林 第三版の解説

きとうりゅう【起倒流】

柔術の一派。江戸初期に寺田勘右衛門正重が創始。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

起倒流
きとうりゅう

近世柔術の一流派。流祖は茨木又左衛門俊房(いばらきまたざえもんとしふさ)、専斎(せんさい)または宗然(そうぜん)と号した。俊房は摂津の茨木(大阪府茨木市)の人で、初め福野七郎右衛門について良移心当(りょういしんとう)流和(やわら)を、ついで柳生宗矩(やぎゅうむねのり)・三厳(みつよし)父子に新陰(しんかげ)流を学び、また僧沢庵(たくあん)に師事して禅理を修め、1637年(寛永14)9月、組討(くみうち)の取形をくふうして、躰(たい)・躰車(たいしゃ)・請(うけ)・左右(さゆう)・前後(ぜんご)の表五つと、行連(ゆきつれ)・行違(ゆきたがい)・行当(ゆきあたり)・身砕(みくだき)・谷辷(たにおとし)の奥五つ、それに外物(とのもの)十五の所作(しょさ)をもって一流をたて、老師の命名によって、起倒流乱(みだれ)と称し、目録、得心(とくしん)目録に加えて、老師から授与された『五行配分書(ごぎょうはいぶんしょ)』(別名、『理気差別論』)を根本伝書とした。早世したとみられる専斎の門人としては、柳生同門の肥前小城(おぎ)藩主鍋島紀伊守(なべしまきいのかみ)元茂(もとしげ)・同飛騨守(ひだのかみ)直能(ただよし)父子や讃州(さんしゅう)丸亀(まるがめ)藩の平田与一右衛門、佐賀藩の大塚勝右衛門らの名がわずかに知られている。直系は専斎の三男三安昌軒から3代山田看安宗俊へと伝えられたが、その後はあまり振るわなかったらしい。
 これに対して松江藩に仕えた寺田勘右衛門正重は、京都の叔父八左衛門頼重に起倒流乱を学び、自らくふうした無拍子の理をもって取形を改編して表十四形、裏七形とし、「起倒流兵法鎧(よろい)組討」と称した。これを受けて作州津山藩の吉村兵助扶寿(すけなが)は1671年(寛文11)正重の本体、性鏡の2巻に、天・地・人の3巻を加えて教習体系を確立し、後日発展の基礎をつくった。さらに兵助の門人で、播州(ばんしゅう)赤穂(あこう)藩に仕えた平野半平頼建(はんぺいよりたけ)(1656―1724)が、主家断絶後、大坂に出て道場を開き、堀田佐五右衛門頼庸(よりつね)と改名し、「起倒流柔道雌雄妙術(じゅうどうしゆうみょうじゅつ)」と称して弘布(こうふ)に努めた。この堀田の門から、京都の寺田市右衛門正浄・正栄父子、1744年(延享1)江戸に進出した滝野遊軒貞高(ゆうけんさだたか)(1695―1762)らが出て、大いに流名をあげた。彼の門人は5700余人に上ったという。
 この滝野の門から幕臣鈴木清兵衛邦教(せいべえくにたか)が出て、神武(しんぶ)の道をあわせ説き、老中松平定信(さだのぶ)をはじめ諸侯士人の共鳴を得、門弟3000といわれた。同じく滝野門の竹中鉄之助の門流から、講道館柔道の創始者嘉納(かのう)治五郎の師事した飯久保恒年(いいくぼつねとし)が出ている。起倒流は当身技より投げ技を重視し、「専ら形を離れて気を扱う」、すなわち心を練ることに重点を置いた。嘉納が講道館を創始するにあたり、起倒流表裏二十一の形をもって「古式の形」として保存することとしたのも、ゆえなしとしない。[渡邉一郎]
『老松信一「起倒流柔術について」(『順天堂大学体育学部紀要』6号所収・1963) ▽渡邉一郎著『武道の名著』(1979・東京コピイ出版) ▽『日本武道大系 第6巻』(1982・同朋舎出版)』

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