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閑室元佶 かんしつ げんきつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

閑室元佶 かんしつ-げんきつ

1548-1612 織豊-江戸時代前期の僧。
天文17年生まれ。臨済(りんざい)宗。大覚派の金庭菊に師事してその法をつぐ。天正(てんしょう)15年(1587)下野(しもつけ)(栃木県)足利学校の庠主(しょうしゅ)(校長)となり,同校の復興につくした。のち京都南禅寺住持をへて徳川家康が建立した伏見円光寺の開山にまねかれ,「孔子家語」など,伏見版とよばれる木活字本を刊行した。慶長17年5月20日死去。65歳。肥前小城郡(佐賀県)出身。号は三要。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんしつげんきつ【閑室元佶】

1548‐1612(天文17‐慶長17)
近世初期の臨済宗の僧。号は三要。肥前小城郡晴気村の出身。はじめ金庭菊についてその法をつぎ,のち南禅寺で学殖を深め,やがて下野(しもつけ)に下って足利学校の校主となり,徳川家康の知遇をえて退廃した学校を整備中興した。家康は畿内を制すると,元佶のため伏見に円光寺を建て,儒仏の典籍や活字を寄せて古書の出版に当たらせた。これが世にいう円光寺版(伏見版)であって,元佶が近世文教の復興に果たした役割は大きい。その後も元佶は家康に重用され,金地院崇伝とともに,幕府の寺社行政,外交文書の作成,海外渡航朱印のことなどをつかさどり,初期幕政の枢機に列した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

閑室元佶
かんしつげんきつ

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世界大百科事典内の閑室元佶の言及

【足利学校】より

…中興した関東管領上杉憲実が永享年間(1429‐41)に鎌倉から招いた快元を初代庠主(しようしゆ)(校長)とする。以下2世天矣,3世南計(南斗とも),4世九天,5世東井子好,6世文伯,7世玉崗瑞璵(号九華),8世古月宗銀,9世閑室元佶(号三要),10世竜派禅珠(号寒松)と続く。7世九華のときが学校の最盛期で小田原後北条氏の厚い保護を受けた。…

【異国日記】より

…近世初期に,外国あて書簡の執筆,朱印状の発給に当たった禅僧が,その職務を記した記録。原本は京都市南禅寺金地院にあり,1712年(正徳2)新井白石が発見した。筆者は豊光寺承兌,円光寺元佶,金地院崇伝で,中でも崇伝の記録が主要な部分を占める。外国との往復書簡を記すだけでなく,執筆の事情をも記しており,外交史の重要な文献である。このうち西洋諸国関係の記事を抜粋し,注を加えたものは,《異国日記抄》として異国叢書に収められる。…

【円光寺】より

…山号は瑞巌山。1601年(慶長6)徳川家康は足利学校から禅僧の閑室元佶(かんしつげんきつ)を伏見に招き,円光寺と号する学校を建てた。これが当寺の開創で,好学の家康は木活字10万を寄せ,元佶は和漢の典籍の出版にあたった。…

【伏見版】より

…徳川家康が閑室元佶(かんしつげんきつ)に命じて開版させた古活字版。足利学校第9代庠主(しようしゆ)(校長)であった元佶は,家康の信任が厚く,家康から拝領した木活字で1599年(慶長4),《孔子家語》《六韜(りくとう)》《三略》を京都伏見において開版した。…

※「閑室元佶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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