改訂新版 世界大百科事典 「足助重範」の意味・わかりやすい解説
足助重範 (あすけしげのり)
生没年:?-1332(元弘2)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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鎌倉後期の武士。三河国加茂(かも)郡足助(愛知県豊田(とよた)市)の人。通称三郎(または次郎)。足助氏は鎌倉幕府の御家人(ごけにん)であったが、1285年(弘安8)の霜月(しもつき)騒動で安達(あだち)氏に加担して所領を没収されたこと、足助地方にあった八条院領高橋庄(しょう)の庄官であったことなどから大覚寺(だいかくじ)統に接近し、重範は1331年(元弘1)後醍醐(ごだいご)天皇の討幕の謀議に参加、幕府に探知されて天皇が笠置(かさぎ)山(京都府相楽(そうらく)郡笠置町)に逃れたときもこれに従った。笠置山が幕府軍に包囲されると、重範は力戦してこれを防ぎ、とくにその弓術は幕府軍を悩ましたという。笠置山陥落のとき捕らえられ、翌1332年京都の六条河原で斬(き)られた。
[新田英治]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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