笠置山(読み)カサギヤマ

デジタル大辞泉 「笠置山」の意味・読み・例文・類語

かさぎ‐やま【笠置山】

京都府南部、笠置町にある山。標高324メートル。山上に笠置寺がある。

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精選版 日本国語大辞典 「笠置山」の意味・読み・例文・類語

かさぎ‐やま【笠置山】

京都府南部、相楽郡笠置町にある山。山頂に笠置寺がある。桜、紅葉名所。標高三二四メートル。鹿鷺山。鹿路山。

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日本歴史地名大系 「笠置山」の解説

笠置山
かさぎやま

木津きづ川の南岸にあり、標高二八八メートル。山頂に笠置寺があり、山の東南麓から新旧二道の登山口がある。全山花崗岩からなり、山中には奇岩・怪石が点在する。国指定史跡・名勝。笠置山を中心にした木津川峡谷は京都府立笠置山自然公園として、信仰と行楽を兼ねた参詣人が多い。

笠置山は「今昔物語集」巻一一「天智天皇御子、始笠置寺語」に天智天皇の子大友皇子が遊猟したとあり、その後建立された笠置寺は山中修験者の道場として、また弥勒信仰の寺院として貴賤の尊崇を受けた。

笠置山
かさぎやま

恵那市北方、恵那郡蛭川ひるかわ村との境界に位置し、標高一一二七・九メートル。恵那市域の最高峰で市内のどの地点からも望むことができる。笠置山を含む美濃飛騨山地は標高八〇〇―一〇〇〇メートル余の山地で、山頂や稜線に比較的平坦面を残していることが多い。笠置山も山頂にかなり広い平坦面をもつため、山容が穏やかである。昔、花山院法皇東国巡回の折、この山を見て「京都に眺むる笠置山にさも似たり」と言い、笠置山と名付けたと伝える。享和二年(一八〇二)大田南畝は「壬戌紀行」に「左の方のあとの方をかへりみれば丸く高き山あり、お笠山といふ、俗に大神宮の笠めし山といへり」と記している。

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改訂新版 世界大百科事典 「笠置山」の意味・わかりやすい解説

笠置山 (かさぎやま)

京都府南部,相楽郡笠置町にある山。標高324m。木津川南岸に位置し,西側を白砂川,今川,東側を布目川が流れ,いずれも深い峡谷を形成し,南へは尾根が続き柳生へ通じている。黒雲母花コウ岩からなる険しい山で,ふもとから山頂まで各所に絶壁,巨岩がある。山上に笠置寺や,虚空蔵石などの石仏群があり,平安時代には弥勒信仰の中心として尊崇を集めた。北麓に笠置温泉があり,西側山麓を中心に旅館などが多い。
執筆者:

元弘の乱において後醍醐天皇は笠置山に入って倒幕の挙兵をした。それは地理的な条件以上に笠置寺を中心とする修験,山伏の勢力に期待してのことであったと考えられている。元弘の乱を含めた南北朝の内乱において,吉野,熊野を中心とした修験者の活躍には目覚ましいものがあったが,笠置山も1194年(建久5)に南都の解脱上人貞慶が般若台院を設けて中興して以来,修験道場として一大勢力を形成していた。平安中期以来,吉野,大峰,熊野が修験道の根本道場となるに及んで吉野金峰山を弥勒兜率天の内院,笠置山をその外院とする考えが示すように,この山は弥勒浄土の霊場と想定され,山中の30宿の行場をめぐる抖擻(とそう)修行も成立した。また金峰山への御嶽詣が盛んになるにつれて,その代行地,前行地とされた。しかし元弘の乱によって一山はことごとく灰燼(かいじん)に帰してしまい,1381年(弘和1・永徳1)に笠置寺が再建されたものの,かつての繁栄を再現するまでには至らなかった。
執筆者:

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国指定史跡ガイド 「笠置山」の解説

かさぎやま【笠置山】


京都府相楽郡笠置町笠置にある山。木津川の南岸にそびえ、笠置寺のある標高289mの頂上付近には奇岩や怪石が多く、ひときわ奇観を呈しており、後醍醐(ごだいご)天皇が行宮(あんぐう)を設けた元弘の乱の戦場として知られる。『笠置寺縁起』によると寺の開山は白鳳(はくほう)時代と伝えるが、巨岩を中心にした信仰は奈良時代以前から行われていたと思われ、その具体的な形が本尊とされる高さ16mの弥勒大磨崖仏(みろくだいまがいぶつ)や高さ12mの虚空蔵(こくうぞう)磨崖仏である。仏像は巨大な岩に仏の姿を刻んだもので、奈良時代末期の作と推定され、平安時代には末法思想による弥勒信仰の隆盛とともに信仰の対象となって「笠置詣で」の風習を生んだ。その後、元弘の乱によって弥勒大磨崖仏は焼け、現在は光背の形を残すだけだが、虚空蔵磨崖仏は優美な線で刻まれた姿が残り、日本で最大・最古の線形磨崖仏として保護されている。山域にはアラカシクヌギアオキなどが自生し、全山が広葉樹におおわれて明るい自然林となっており、麓の河原にはサクラが植えられて花の季節や秋の紅葉シーズンにはとくに多くの行楽客でにぎわう。1932年(昭和7)に国の名勝・史跡に指定された。JR関西本線笠置駅から登山口まで徒歩約5分。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「笠置山」の意味・わかりやすい解説

笠置山
かさぎやま

京都府南部、相楽(そうらく)郡笠置町にある山。木津(きづ)川の断層谷の南岸に臨み、笠置山地の最北端にあたる。標高324メートル。全山風化を受けやすい花崗(かこう)岩で構成され、山腹は急斜面をなしている。山中には花崗岩の節理に沿って侵食を受けた巨岩が重なり合い、また山上には真言宗智山派の笠置寺がある。ほかに後醍醐(ごだいご)天皇行宮(あんぐう)遺跡、磨崖(まがい)の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)、弥勒(みろく)菩薩などがある。またサクラの木に富み、全山国の史跡・名勝、府立自然公園に指定されている。山麓(さんろく)には笠置温泉がある。JR関西本線笠置駅下車。

織田武雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「笠置山」の意味・わかりやすい解説

笠置山
かさぎやま

京都府南端部,笠置町にある山。笠置山地の主峰。標高 324m。花崗岩から成る急峰で木津川峡谷を見おろす要害の地。磨崖仏があり,奈良時代から弥勒信仰の山として知られ,鎌倉時代に貞慶により笠置寺が建立された。元弘1=元徳3 (1331) 年,後醍醐天皇が討幕の兵をあげ,笠置寺の別当聖尋を頼んでここに遷幸したが敗れた。笠置寺や古戦場,花崗岩の浸食による奇観などがあり,全山が国の史跡・名勝に指定,十三重石塔や銅鐘など多くの重要文化財がある。木津川峡谷とともに笠置山府立自然公園に属する。

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旺文社日本史事典 三訂版 「笠置山」の解説

笠置山
かさぎやま

京都府南部にある小山。山上に笠置寺がある
1331年後醍醐 (ごだいご) 天皇は元弘の変でこの地にのがれ,笠置寺の衆徒や参集の地方武士とともに防戦したが幕府軍に敗れ,捕らえられて六波羅を経て隠岐 (おき) に流された。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「笠置山」の解説

かさぎやま【笠置山】

奈良の日本酒。蔵元は「狭川酒造」。現在は廃業。蔵は奈良市下狭川町にあった。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の笠置山の言及

【笠置寺】より

…京都府相楽郡笠置町の笠置山頂にある寺。笠置山は木津川の南岸にあり,奈良県の柳生街道に面した登山口から登ると,本坊,弥勒石・薬師石・文殊石・虚空蔵石の石仏群があり,弥勒石の後山に後醍醐天皇の行在所(あんざいしよ)跡がある。…

※「笠置山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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