出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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農民労働党【のうみんろうどうとう】
大正末の無産政党。普通選挙法公布により無産政党結成の動きが生じ,1925年8月日本農民組合の提唱で無産政党組織準備会が設けられ,同年12月,33団体が参加し書記長を浅沼稲次郎とする農民労働党を結成。しかし,共産主義的であるなどの理由で結党30分後解散を命じられた。
→関連項目労農党
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農民労働党
のうみんろうどうとう
日本の政党。 1925年 12月1日結成された無産政党の1つ。前年結成された政治研究会,日本農民組合などが 1000名以上の労働団体に対し,単一の全国無産政党組織準備会の提唱を行なったのが始りである。結成式は東京キリスト教青年会館で行われ,書記長浅沼稲次郎ら役員を選出したが,その行動綱領の背後に共産主義的原則綱領があるという理由で結社禁止令を受け,わずか3時間後に解散させられた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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農民労働党
のうみんろうどうとう
大正末期の無産政党
1925年6月,日本農民組合から労働団体に単一無産政党樹立の呼びかけが行われ,その準備の過程で日本労働総同盟と日本労働組合評議会の左右の対立が激しく,ようやく12月農民労働党を結成した。書記長は浅沼稲次郎。しかし若槻礼次郎内閣により直ちに解散・結社の禁止を命じられた。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の農民労働党の言及
【農民運動】より
…26年ころを境に強まった地主反攻のなかで,小作争議はほとんど法廷戦となり,しかも農民組合の分裂,官憲の弾圧がつづき,農民運動はしだいに困難となり守勢にまわった。 この時期,農民組合は経済闘争とともに農村の政治的改革を重視し,市町村会議員選挙や農会代表選挙に進出していたが,普選を前にした1924年12月,日農は政治闘争の重要性を認識し,無産政党組織の準備を労働組合に呼びかけて25年12月農民労働党を結成した。農民労働党は天皇制権力により即日解散させられたが,翌26年3月には労働農民党(労農党)が結成された。…
※「農民労働党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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