辻善之助(読み)ツジゼンノスケ

デジタル大辞泉 「辻善之助」の意味・読み・例文・類語

つじ‐ぜんのすけ【辻善之助】

[1877~1955]歴史学者。兵庫の生まれ。東大教授史料編纂所初代所長。実証的な仏教史研究業績を残した。文化勲章受章。著「日本仏教史」「日本文化史」など。

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精選版 日本国語大辞典 「辻善之助」の意味・読み・例文・類語

つじ‐ぜんのすけ【辻善之助】

  1. 歴史学者、仏教史家。兵庫県出身。東京帝国大学教授。同史料編纂所長として、史料の編纂事業に尽くした。文化勲章受章。著に「日本仏教史」「日本文化史」など。明治一〇~昭和三〇年(一八七七‐一九五五

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20世紀日本人名事典 「辻善之助」の解説

辻 善之助
ツジ ゼンノスケ

明治〜昭和期の日本史学者,仏教史家 東京帝国大学史料編纂所初代所長・名誉教授;文化財専門審議会会長。



生年
明治10(1877)年4月15日

没年
昭和30(1955)年10月13日

出生地
兵庫県姫路元塩町(現・姫路市)

学歴〔年〕
東京帝大文科大学国史学科〔明治32年〕卒

学位〔年〕
文学博士(東京帝大)〔明治42年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院恩賜賞〔大正10年〕「日本仏教史之研究」,文化勲章〔昭和27年〕,朝日文化賞〔昭和28年〕「日本仏教史」

経歴
東京帝大を出てすぐ同大学の史料編纂員となったが、昭和4年史料編纂掛が史料編纂所と改称されるとその初代所長に就任し、わが国の史料編纂事業の発展に貢献。一方、明治44年東京帝大助教授となり、大正15年〜昭和13年教授、昭和7年帝国学士院会員。のち、立正大、上智大教授を歴任。また文化財保護にも尽力し、文化財専門審議会会長を務めた。在学中から仏教史への関心が深く、それまで教義史中心だった日本仏教史を政治、経済、社会と関連づけて研究し、いわゆる“辻仏教史学”を打ち立てた。明治43年には三重県の高田専修寺で親鸞の真蹟30数点を発見、紹介している。主著の「日本仏教史」(全10巻)は東大での30年に及ぶ講義もとにした仏教通史で、編集・校訂本としては「神仏分離史料」「大乗院寺社雑事記」「鹿苑日録」「多聞院日記」がある。このほか「親鸞上人筆蹟の研究」「田沼時代」「日本仏教史之研究」「人物論叢」「本願論」「日本文化史」(全7巻・別録4巻)、そして未完の「国史大辞典」(4巻まで)など著書は数多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「辻善之助」の意味・わかりやすい解説

辻善之助 (つじぜんのすけ)
生没年:1877-1955(明治10-昭和30)

大正・昭和期の歴史学者。兵庫県姫路生れ。1899年,東京帝国大学文科大学国史科を卒業,同年同大学院へ進んだが,研究題目とした〈政治の方面より観察したる日本仏教史〉は,そのまま生涯を通じての学問的課題となった。古代から明治に及ぶ辻の多彩な日本仏教史研究は,堅固な実証主義的方法で貫かれ,政治はもとより社会・文化史的観点を重視することで,それまでの教団史的水準を克服した画期的業績であった。研究の集大成をなす《日本仏教史》全10巻(1944-55)のほか,《日本仏教史の研究》正・続(1919,31),《日本文化史》全7巻(1948-50)など多数の著書がある。また,その間,1902年の史料編纂掛入り以来,長く史料編纂事業に従事し,初代史料編纂所長を務めた。11年東京帝国大学助教授,23年に教授となり,38年定年退官。32年帝国学士院会員。52年文化勲章を受章する。なお,《田沼時代》(1915)は,小品ながら辻の卓抜した史眼を示し,今日の近世史研究の礎石をなすものといえよう。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「辻善之助」の意味・わかりやすい解説

辻善之助
つじぜんのすけ
(1877―1955)

歴史学者。明治10年4月15日、兵庫県姫路(ひめじ)に生まれる。第一高等学校、帝国大学文科大学国史科を卒業(恩賜懐中時計拝領)。帝国大学史料編纂(へんさん)員、同史料編纂官となり、1911年(明治44)東京帝国大学文科大学助教授(兼任)、1920年(大正9)史料編纂掛事務主任(後の史料編纂所長)、1923年東京帝国大学教授(兼任)、1938年(昭和13)停年退官。その間、史料採訪のため全国に出張、後進を指導して、今日の史料編纂所の基礎を築くとともに、文化史・仏教史に大きな業績を残し、史料の保存・出版などに活躍した。帝国学士院会員。1952年(昭和27)文化勲章受章。熱心な真宗信者であった。昭和30年10月13日死去。おもな著書に『日本仏教史』10巻(1944~1955・岩波書店)、『日本文化史』7巻・別録4巻(1948~1953・春秋社)などがある。

[益田 宗 2017年9月19日]

『『辻善之助博士自歴年譜稿』(1977・続群書類従完成会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辻善之助」の意味・わかりやすい解説

辻善之助
つじぜんのすけ

[生]1877.4.15. 姫路
[没]1955.10.13. 東京
歴史学者。 1899年東京大学卒業。史料編纂掛に勤務し史料編纂員,同編纂官,同事務主任を歴任し,1929年史料編纂所と改称されるとその初代所長として,史料の編纂出版に努め,東京大学教授を兼ねて国史学科の指導にあたり,32年には帝国学士院会員に推された。 38年定年退職後も,名誉教授となり,研究,教育および各種専門委員としての活動を続け,52年文化勲章を受章。主著『日本文化史』 (11冊,1948~53) ,『日本仏教史』 (10冊,53) 。

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百科事典マイペディア 「辻善之助」の意味・わかりやすい解説

辻善之助【つじぜんのすけ】

歴史学者,仏教史家。姫路生れ。1899年東大卒。1923年東大教授,1929年史料編纂(へんさん)所初代所長。主著《日本仏教史》,編著《明治維新神仏分離史料》。1952年文化勲章。
→関連項目鹿苑日録

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「辻善之助」の解説

辻善之助 つじ-ぜんのすけ

1877-1955 明治-昭和時代の日本史学者。
明治10年4月15日生まれ。35年史料編纂掛にはいり,38年史料編纂官となる。大正12年東京帝大教授,昭和4年から史料編纂所初代所長を兼任。大正10年「日本仏教史之研究」で学士院恩賜賞。昭和27年文化勲章。昭和30年10月13日死去。78歳。兵庫県出身。東京帝大卒。著作に「日本仏教史」「日本文化史」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「辻善之助」の解説

辻善之助
つじぜんのすけ

1877.4.15~1955.10.13

明治~昭和期の歴史学者。兵庫県出身。東大卒。日本仏教史の研究に従事。1920年(大正9)史料編纂掛事務主任となり,同掛の大幅拡張を実現,「大日本史料」各編の一斉出版を開始した。のち東京帝国大学教授。29年(昭和4)史料編纂所初代所長。退官後は文化財専門審議会会長などを務めた。著書「日本仏教史」「日本文化史」。

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367日誕生日大事典 「辻善之助」の解説

辻 善之助 (つじ ぜんのすけ)

生年月日:1877年4月15日
明治時代-昭和時代の日本史学者
1955年没

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