逆コース(読み)ぎゃくこーす

日本大百科全書(ニッポニカ) 「逆コース」の意味・わかりやすい解説

逆コース
ぎゃくこーす

第二次世界大戦後の民主化政策を見直し改革に逆行しようとする政策路線。1948年(昭和23)の占領政策の転換に始まるが、系統的になるのは1951年に第3次吉田茂内閣が首相の私的諮問(しもん)機関「政令諮問委員会」の答申に従い、法体制を一変する時期以後である。1952年7月、破壊活動防止法が成立・公布され、政府に「暴力主義的破壊活動」を行う団体を規制・解散させる権限を与え、公安調査庁が設立された。労組・知識人・学生自治会などは「治安維持法の再来」と反対し、国民の間に「逆コース」と非難する風潮が高まった。同年4月、吉田首相は国会で「自衛のための戦力合憲」と答弁、7月には保安庁法を公布、10月、警察予備隊を11万に増強し、7590名の海上警備隊を加えて保安隊を創設し、1954年には米国から「相互防衛援助協定」による軍事援助を受け、陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊からなる自衛隊を発足させ、再軍備に踏み切った。1956年、教育委員の公選制から任命制への転換も、この一環とされる。

[佐々木隆爾]

『J・ダワー著、大窪愿二訳『吉田茂とその時代』上下(中公文庫)』

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