狂言の曲名。舞狂言。大蔵,和泉両流にある。東国の僧が都見物をすませ奈良へ向かう途中,宇治橋のたもとに着く。そこには,人もいないのに茶の湯を手向け,花を供えた茶屋があるので,ふしぎに思い所の者にたずねると,昔,通円という茶屋坊主が宇治橋供養のとき,茶を点(た)てすぎて死んだ跡だと語り,回向を勧める。僧は夢で通円に会うことを期待して茶屋に寝ていると,枕もとに通円の幽霊が現れる。そして,宇治橋供養半ばに都からの巡礼者が300人ほど,通円の点てる茶を飲みほそうと押し寄せて来たので,負けじとばかり大茶を点てて争ったが,ついに負けて最期をとげたと語り,回向を頼んで消え失せる。シテは通円。大蔵流は通円という名の専用面,和泉流は鼻引(はなひき)の面をかける。能様式なので,とくに僧をワキ,所の者をアイと称する。《楽阿弥(らくあみ)》《蛸(たこ)》《祐善(ゆうぜん)》などとならんで,夢幻能(むげんのう)の形式を模した構成。一見荘重に演じながらも,狂言らしい戯画的精神と俳諧味が漂う。
執筆者:羽田 昶
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
狂言の曲名。舞狂言。平等院参詣(さんけい)を思い立った旅僧が宇治橋までくると、茶屋に茶湯(ちゃとう)が手向けられている。不思議に思い所の者に尋ねると、昔、宇治橋供養のおり、通円という茶屋坊主があまりに大茶を点(た)て、点て死にした命日だと語る。そこで旅僧が供養していると、通円の亡霊(シテ)が現れ、橋供養のため都から押し寄せた300人の道者(どうしゃ)に1人残らず茶を飲ませようと孤軍奮闘、ついに点て死にした最期のありさまを謡い舞い、回向(えこう)を願って消え去る。能『頼政(よりまさ)』のパロディーで、最期を述べる部分は詞章ももじりになっている。通円は宇治の橋守が世襲した実在の名で、この曲のモデルは豊臣(とよとみ)秀吉に愛顧されたという中興の通円であろうか。平等院には「太敬菴通円之墓」が残っている。
[小林 責]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…葉茶を売る葉茶屋と区別して,水茶屋といった。《本朝世事談綺》(1734)は京の祇園社境内の二軒茶屋,《嬉遊笑覧》(1830序)は宇治橋際の通円(つうえん)を,水茶屋の始まりとする。室町時代から見られた一服一銭の茶売が,よしず張りの掛小屋に床几(しようぎ)をしつらえるなどするようになってからの名で,これらがやがて酒食を供するようになって煮売茶屋,料理茶屋となり,店の奥に座敷を設けるところが現れると,それが男女の密会や売春の場となっていった。…
※「通円」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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