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速水御舟 はやみ ぎょしゅう

美術人名辞典の解説

速水御舟

日本画家。東京生。旧姓蒔田、名は栄一、号に禾湖・浩然のち御舟。松本楓湖の安雅堂画塾に入門し、巽画会・烏合会で入選する。また紅児会赤曜会で活躍し、院展同人ともなった。日本画の装飾的性格に近代性を吹きこんだところにその本領がある。オクイシェー・クーロンヌ勲章・赤十字二等名誉勲章受章。昭和10年(1935)歿、42才。

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デジタル大辞泉の解説

はやみ‐ぎょしゅう〔‐ギヨシウ〕【速水御舟】

[1894~1935]日本画家。東京の生まれ。旧姓、蒔田。本名、栄一。日本美術院同人。細密な描写による象徴的世界を創出琳派(りんぱ)の装飾性と写実との合体を図るなど、日本画の近代化を推進。代表作「炎舞」「名樹散椿」など。

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百科事典マイペディアの解説

速水御舟【はやみぎょしゅう】

日本画家。東京生れ。旧姓蒔田,本名栄一。松本楓湖に師事し,巽画会,紅児会で活躍,のち今村紫紅らと赤曜会を組織して新日本画運動を志向した。再興院展に出品し,1917年《洛外六題》で同人に推挙された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

速水御舟 はやみ-ぎょしゅう

1894-1935 大正-昭和時代前期の日本画家。
明治27年8月2日生まれ。松本楓湖(ふうこ)にまなび,のち今村紫紅らと赤曜会を結成。大正6年(1917)第4回院展に「洛外(らくがい)六題」を出品,日本美術院同人となった。昭和10年3月20日死去。42歳。東京出身。旧姓は蒔田。本名は栄一。別号に禾湖(かこ),浩然。作品はほかに「炎舞」「翠苔緑芝(すいたいりょくし)」「名樹散椿(ちりつばき)」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

はやみぎょしゅう【速水御舟】

1894‐1935(明治27‐昭和10)
日本画家。東京浅草茅町の質屋蒔田良三郎の次男として生まれる。本名栄一。14歳のとき同じ町内の松本楓湖の安雅堂画塾に入門,はじめ禾湖,のちに浩然と号したが,1914年母方の速水家をついでから御舟と改号。禾湖時代から巽画会,紅児会にやまと絵風あるいは琳派風の作品を発表。《萌芽》によって原三渓らにその才能を認められ,15年日本美術院が再興されると,兄弟子今村紫紅を指導者とする赤曜会の新鋭として再興院展に参加。

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大辞林 第三版の解説

はやみぎょしゅう【速水御舟】

1894~1935) 日本画家。東京生まれ。旧姓、蒔田。本名、栄一。赤曜会の創立に参加。日本画の装飾性に近代的な写実を加え、特に細密描写を得意とした。作「炎舞」「京の舞妓」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

速水御舟
はやみぎょしゅう

[生]1894.8.2. 東京
[没]1935.3.20. 東京
日本画家。本名は栄一。東京浅草茅町の質店,蒔田良三郎の次男として生れた。 1908年,15歳で松本楓湖の画塾に入門して画才を認められ,翌年禾湖の号を受けた。のち浩然と改号。 11年紅児会に参加,14年蒔田家を出て母方の速水家を継ぎ,画号を御舟と改めた。同年,再興日本美術院院友となり,さらに今村紫紅らと赤曜会を興して新日本画運動を推進。 17年院展に出品した『洛外六題』で認められて同人となり,客観的な写実に基づく細密描写の作品を発表。 30年,横山大観らとローマ日本美術展のために渡欧し,見聞を広めた。やがて主観的作風に移り,象徴性の強い写実や装飾的な構成主義の作品,さらに晩年の宋元画に基づくものまで,格調高い多くの名作を生んだ。主要作品『炎舞』 (1925,山種美術館) ,『朝鮮牛』 (26,同) ,『京の家,奈良の家』 (27) ,『名樹散椿』 (29,山種美術館,重文) ,『花の傍』 (32,東京歌舞伎座) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

速水御舟
はやみぎょしゅう
(1894―1935)

日本画家。蒔田(まきた)良三郎(質商)の二男として東京浅草に生まれる。本名栄一。のち母方の速水姓を名のる。1908年(明治41)松本楓湖(ふうこ)に入門、10年に巽(たつみ)画会に初めて出品する。翌年今村紫紅(しこう)、安田靫彦(ゆきひこ)らの紅児会に加わり、ことに同門の先輩紫紅の感化を受けて画才を伸ばした。14年(大正3)の日本美術院再興には院友として参加、17年の第4回院展で『洛外(らくがい)六題』が認められて同人に推された。19年に交通事故で左足首を切断するが、不幸にめげず精進し、翌年の院展に細密描写の大作『京の舞妓(まいこ)』を出品している。写実の追究はさらに続き、中国院体画にも注目して主観性を強め、25年の『樹木』『炎舞』にみられる象徴味をたたえる画風を開いた。その後、細密描写を離れ、琳派(りんぱ)にも関心を向け、伝統的な装飾美と西洋近代術の融和を図って苦心を重ねた。『翠苔緑芝(すいたいりょくし)』(1928)、『名樹散椿(めいじゅさんちん)』などがその成果である。30年ローマ日本美術展覧会に美術使節としてイタリアに渡り、ヨーロッパ各地を巡って帰国した。帰国後は表現の単純化を目ざし、『女二題』『花の傍』『青丘婦女抄』『サーカスの少女』などを制作している。チフスのため40歳で急逝。[原田 実]
『河北倫明他編『速水御舟――作品と素描』全二巻(1981・光村図書出版) ▽『現代日本の美術14 速水御舟』(1977・集英社) ▽吉田幸三郎編『速水御舟』(1975・便利堂)』

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