速水御舟(読み)はやみぎょしゅう

精選版 日本国語大辞典 「速水御舟」の意味・読み・例文・類語

はやみ‐ぎょしゅう【速水御舟】

日本画家。本名栄一。東京浅草出身。今村紫紅らと赤曜会を結成して新日本画運動を起こし、意欲的な芸術制作を行ない、次代画家に大きな刺激を与えた。代表作「京の舞妓」「名樹散椿」。明治二七~昭和一〇年(一八九四‐一九三五

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デジタル大辞泉 「速水御舟」の意味・読み・例文・類語

はやみ‐ぎょしゅう〔‐ギヨシウ〕【速水御舟】

[1894~1935]日本画家。東京の生まれ。旧姓、蒔田。本名、栄一。日本美術院同人。細密な描写による象徴的世界を創出琳派りんぱの装飾性と写実との合体を図るなど、日本画の近代化を推進。代表作「炎舞」「名樹散椿」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「速水御舟」の意味・わかりやすい解説

速水御舟 (はやみぎょしゅう)
生没年:1894-1935(明治27-昭和10)

日本画家。東京浅草茅町の質屋蒔田良三郎の次男として生まれる。本名栄一。14歳のとき同じ町内の松本楓湖の安雅堂画塾に入門,はじめ禾湖,のちに浩然と号したが,1914年母方の速水家をついでから御舟と改号。禾湖時代から巽画会,紅児会にやまと絵風あるいは琳派風の作品を発表。《萌芽》によって原三渓らにその才能を認められ,15年日本美術院が再興されると,兄弟子今村紫紅を指導者とする赤曜会の新鋭として再興院展に参加。紫紅の〈南画は印象派よりも印象的〉という新南画の理論を実践し,明るい色彩,大胆な構図,新鮮なモティーフの《近村》を発表,ついで17年京都に取材した《洛外六題》(1923焼失)は横山大観,下村観山らに激賞され,23歳で院展同人に推された。翌年,京都修学院林丘寺内雲母(きらら)庵に移り,第5回院展に《洛北修学院村》を発表。このころより御舟自身〈群青中毒にかかった〉と述べているように群青系の色調の作品が多くなる。翌19年3月浅草駒形において市電にひかれ左足切断の災禍にあうが屈することなく,ますます制作にうちこんでゆく。京都に帰ってデューラーへの関心を示し,近代日本画中最も厳密にして濃厚な写実を試みた《京の舞妓》を第7回院展に出品。近代人の自覚の上に立った自己の主張を鋭敏に展開,新画風を探ってはこわし,こわしては組みたて,ヨーロッパにおける当時のフォービスムキュビスム,またシュルレアリスム動向とその理論をつぎつぎに注目しつつ,中国の院体画を学び,宗達や琳派の装飾的構成をたくみに摂取しながら新画境の創造に徹した。25年の《炎舞》と30年の《名樹散椿》はそれぞれ表現は異なるが,彼の生命の燃焼を示す作品といえよう。34年《白日夢》を院試作展に発表するかたわら,墨絵に傾倒し,新たな展開を試みるべく裸体描写に取り組み《婦女群像》の制作にかかるが果たさず,翌年3月腸チフスのため急逝した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「速水御舟」の意味・わかりやすい解説

速水御舟
はやみぎょしゅう
(1894―1935)

日本画家。蒔田(まきた)良三郎(質商)の二男として東京浅草に生まれる。本名栄一。のち母方の速水姓を名のる。1908年(明治41)松本楓湖(ふうこ)に入門、10年に巽(たつみ)画会に初めて出品する。翌年今村紫紅(しこう)、安田靫彦(ゆきひこ)らの紅児会に加わり、ことに同門の先輩紫紅の感化を受けて画才を伸ばした。14年(大正3)の日本美術院再興には院友として参加、17年の第4回院展で『洛外(らくがい)六題』が認められて同人に推された。19年に交通事故で左足首を切断するが、不幸にめげず精進し、翌年の院展に細密描写の大作『京の舞妓(まいこ)』を出品している。写実の追究はさらに続き、中国院体画にも注目して主観性を強め、25年の『樹木』『炎舞』にみられる象徴味をたたえる画風を開いた。その後、細密描写を離れ、琳派(りんぱ)にも関心を向け、伝統的な装飾美と西洋近代術の融和を図って苦心を重ねた。『翠苔緑芝(すいたいりょくし)』(1928)、『名樹散椿(めいじゅさんちん)』などがその成果である。30年ローマ日本美術展覧会に美術使節としてイタリアに渡り、ヨーロッパ各地を巡って帰国した。帰国後は表現の単純化を目ざし、『女二題』『花の傍』『青丘婦女抄』『サーカスの少女』などを制作している。チフスのため40歳で急逝。

[原田 実]

『河北倫明他編『速水御舟――作品と素描』全二巻(1981・光村図書出版)』『『現代日本の美術14 速水御舟』(1977・集英社)』『吉田幸三郎編『速水御舟』(1975・便利堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「速水御舟」の意味・わかりやすい解説

速水御舟
はやみぎょしゅう

[生]1894.8.2. 東京
[没]1935.3.20. 東京
日本画家。本名は栄一。東京浅草茅町の質店,蒔田良三郎の次男として生れた。 1908年,15歳で松本楓湖の画塾に入門して画才を認められ,翌年禾湖の号を受けた。のち浩然と改号。 11年紅児会に参加,14年蒔田家を出て母方の速水家を継ぎ,画号を御舟と改めた。同年,再興日本美術院院友となり,さらに今村紫紅らと赤曜会を興して新日本画運動を推進。 17年院展に出品した『洛外六題』で認められて同人となり,客観的な写実に基づく細密描写の作品を発表。 30年,横山大観らとローマ日本美術展のために渡欧し,見聞を広めた。やがて主観的作風に移り,象徴性の強い写実や装飾的な構成主義の作品,さらに晩年の宋元画に基づくものまで,格調高い多くの名作を生んだ。主要作品『炎舞』 (1925,山種美術館) ,『朝鮮牛』 (26,同) ,『京の家,奈良の家』 (27) ,『名樹散椿』 (29,山種美術館,重文) ,『花の傍』 (32,東京歌舞伎座) 。

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百科事典マイペディア 「速水御舟」の意味・わかりやすい解説

速水御舟【はやみぎょしゅう】

日本画家。東京生れ。旧姓蒔田,本名栄一。松本楓湖に師事し,巽画会,紅児会で活躍,のち今村紫紅らと赤曜会を組織して新日本画運動を志向した。再興院展に出品し,1917年《洛外六題》で同人に推挙された。1930年ローマの日本美術展のために渡欧,その後花鳥画を多く制作。大和絵文人画の影響を受けたのち,宋元風の花鳥画形式の中に深い静寂に満ちた世界を構築しようとした。作品は《京の舞妓》《翠苔緑芝》《名樹散椿》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「速水御舟」の解説

速水御舟 はやみ-ぎょしゅう

1894-1935 大正-昭和時代前期の日本画家。
明治27年8月2日生まれ。松本楓湖(ふうこ)にまなび,のち今村紫紅らと赤曜会を結成。大正6年(1917)第4回院展に「洛外(らくがい)六題」を出品,日本美術院同人となった。昭和10年3月20日死去。42歳。東京出身。旧姓は蒔田。本名は栄一。別号に禾湖(かこ),浩然。作品はほかに「炎舞」「翠苔緑芝(すいたいりょくし)」「名樹散椿(ちりつばき)」など。

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世界大百科事典(旧版)内の速水御舟の言及

【海に生くる人々】より

葉山嘉樹の長編小説。1923年(大正12),名古屋の刑務所の中で書き上げられ,26年に改造社から刊行。…

※「速水御舟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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