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遊佐幸平 ゆさこうへい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

遊佐幸平
ゆさこうへい

[生]1883.7.25. 宮城,鳴子
[没]1966.11.25. 東京
日本の近代馬術の創始者(→馬術競技)。陸軍軍人。1904年陸軍士官学校卒業後フランスに渡り,フランス流馬術を研究。1928年アムステルダム・オリンピック競技大会に選手として出場,1932年ロサンゼルス大会には監督として,また 1952年ヘルシンキ大会,1956年メルボルン大会には馬術団長として参加し,日本の馬術の普及発展に貢献した。主著『馬術及馬事』(1932),『遊佐馬術』(1940),『馬事論叢』(1943)など。(→ヘルシンキ・オリンピック競技大会メルボルン・オリンピック競技大会ロサンゼルス・オリンピック競技大会

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百科事典マイペディアの解説

遊佐幸平【ゆさこうへい】

陸軍軍人,馬術家。宮城県出身。1903年陸軍士官学校を卒業。翌年騎兵少尉,1912年騎兵学校教官,1938年陸軍少将で退官するまで軍馬関係部門を担当した。1914年-1917年フランスに留学,1928年のアムステルダムオリンピックに競技選手として出場,続く1932年のロサンゼルスオリンピックでは馬術選手団監督,国際審判員で参加,後輩の西竹一が大賞典障害飛越競技で優勝するのを見届けた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

遊佐幸平 ゆさ-こうへい

1883-1966 明治-昭和時代の軍人,馬術家。
明治16年7月25日生まれ。騎兵将校として,馬術研究のためフランスに留学。昭和3年アムステルダム五輪に日本初の馬術競技選手として出場して以来,選手,監督,団長として五輪に計5回参加。日本の馬術振興につくした。10年陸軍少将。昭和41年11月25日死去。83歳。宮城県出身。陸軍士官学校卒。著作に「遊佐馬術」「馬術及び馬事」。

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世界大百科事典 第2版の解説

ゆさこうへい【遊佐幸平】

1883‐1966(明治16‐昭和41)
日本近代馬術競技の創始者。宮城県出身。1903年陸軍士官学校を卒業。翌年騎兵少尉に任官以降,38年陸軍少将の位で退官するまで軍馬関係の部門を担当し,1914‐17年にはフランスに留学して馬術研究に励んだ。28年の第9回アムステルダム・オリンピック大会に初の馬術競技選手として出場,続く第10回ロサンゼルス大会には馬術選手団監督,国際審判員で参加,後輩の西竹一が大賞典障害飛越競技で優勝した。第2次大戦後もヘルシンキ(1952),メルボルン(1956)の両オリンピック大会に馬術選手団長として参加した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

遊佐幸平
ゆさこうへい
(1883―1966)

「昭和の曲垣(まがき)平九郎」といわれた馬術の名手。宮城県鳴子(なるこ)村湯元(大崎(おおさき)市鳴子温泉湯元)生まれ。馬産地育ちの影響もあって軍隊に入り、1917年(大正6)陸軍騎兵学校馬術教官、35年(昭和10)陸軍少将となった。オリンピックには1928年のアムステルダム大会から5回、選手、監督、団長として参加している。軍人育ちだけに体はたくましく、声は大きい。姿勢はよく、ぴんと張ったカイゼルひげは別名「遊佐ひげ」といわれていた。馬に関しての造詣(ぞうけい)は深く、日曜を除く毎日風雨をいとわず乗馬の練習をしていた。また後進の育成にも力を注ぎ、オリンピック・ロサンゼルス大会(1932)で、弟子の西竹一(たけいち)中尉が愛馬ウラヌス号で優勝している。1955年(昭和30)紫綬(しじゅ)褒章受章。[石井恒男]
『遊佐幸平著『遊佐馬術』(1983・第一出版)』

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