百科事典マイペディア 「遊佐幸平」の意味・わかりやすい解説
遊佐幸平【ゆさこうへい】
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
日本近代馬術競技の創始者。宮城県出身。1903年陸軍士官学校を卒業。翌年騎兵少尉に任官以降,38年陸軍少将の位で退官するまで軍馬関係の部門を担当し,1914-17年にはフランスに留学して馬術研究に励んだ。28年の第9回アムステルダム・オリンピック大会に初の馬術競技選手として出場,続く第10回ロサンゼルス大会には馬術選手団監督,国際審判員で参加,後輩の西竹一が大賞典障害飛越競技で優勝した。第2次大戦後もヘルシンキ(1952),メルボルン(1956)の両オリンピック大会に馬術選手団長として参加した。近代馬術競技の普及に生涯をささげ,和洋の技術を取り入れて〈遊佐馬術〉と呼ばれる独特な馬術を編み出した。
執筆者:広畑 成志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治〜昭和期の陸軍軍人,馬術家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
「昭和の曲垣(まがき)平九郎」といわれた馬術の名手。宮城県鳴子(なるこ)村湯元(大崎(おおさき)市鳴子温泉湯元)生まれ。馬産地育ちの影響もあって軍隊に入り、1917年(大正6)陸軍騎兵学校馬術教官、35年(昭和10)陸軍少将となった。オリンピックには1928年のアムステルダム大会から5回、選手、監督、団長として参加している。軍人育ちだけに体はたくましく、声は大きい。姿勢はよく、ぴんと張ったカイゼルひげは別名「遊佐ひげ」といわれていた。馬に関しての造詣(ぞうけい)は深く、日曜を除く毎日風雨をいとわず乗馬の練習をしていた。また後進の育成にも力を注ぎ、オリンピック・ロサンゼルス大会(1932)で、弟子の西竹一(たけいち)中尉が愛馬ウラヌス号で優勝している。1955年(昭和30)紫綬(しじゅ)褒章受章。
[石井恒男]
『遊佐幸平著『遊佐馬術』(1983・第一出版)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加